「ソロモンの知恵」「ソロモンの栄華」と謳われたソロモン王が紀元前926年ごろに死去した後、王国は
イスラエル王国(北王国; 10部族)
ユダ王国(南王国; 2部族)
の2つに分裂しました。
この2つのうち、北のイスラエル王国はヤロブアム二世(BCE787年ごろ即位)の統治下でシリアまで領土を拡大し、繁栄を極めました。
その繁栄ぶりは、例えば公益の記録の出土などによって考古学的にもある程度、確かめられているようです。
その繁栄するイスラエル王国に現れたのが預言者アモスでした。
今さらながらですが、預言者とは「未来を予言する人」ではなく、「神の言葉を預かって伝える人」を指します。
元々は、使用人が主人のメッセージを相手方に正確に伝える、主人の言葉を「預かって伝える」という古代社会での習慣から来たものということです。
神の言葉を預かって伝えるのが預言者の使命ですが、その神の言葉はしばしば人間社会に対する厳しい批判でした。
預言者アモスも繁栄を極めるイスラエル王国とそこに住む人々、特に貴族階級を厳しく批判したのでした。
そのため、ベテルの祭司アマツヤはアモスに
「先見者よ、行け。 ユダの国へ逃れ、そこで糧を得よ。そこで預言をするが良い」(12節)
と言います。
それに対するアモスの返事は、
自分は預言者でも預言者の弟子でもなく、一介の農民である(13節)
そのような自分に主は「わが民イスラエルに預言せよ」と言われた、だからこうしてここにいるのだ(15節)
というものでした。
先ほどのアマツヤの言葉から
「預言者が敬われないのは自分の故郷...」(マルコ6章4節)
と言うイエスの言葉が思い起こされますが、アモス書の冒頭には
テコアの牧者の一人であったアモスの言葉(1章1節)
とあります。
このテコアというのはエルサレムの南、約20キロメートルのところにある町(新共同訳聖書巻末聖書地図・第4図)です。
つまり、アモスは南のユダ王国の出身であり、その彼が北のイスラエル王国に出かけて行ってイスラエル王国の社会を批判をしたことになります!
この経緯についてはアモス書やホセア書、列王記上・下が書かれた背景と関係があると思いますが、それについては改めて学んでみたいと思います。
アモスはアマツヤとの会話を次のように結んでいます。
イスラエルは、必ず捕らえられて
その土地から連れ去られる。(」17節)
約60年後、BCE722年にイスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされました。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社
『図解雑学 旧約聖書』ナツメ社
Israel Finkelstein & Neil A. Silberman "The Bible Unearthed" New York ,2001