今日の聖書箇所は映像としても印象的な物語となっています。
そして、この箇所の主題は
1. 弟子たちの不信仰
2. イエスとは誰か
の2つです。(雨宮慧神父)
雨宮神父によると、今日の物語のようないわゆる「「自然奇跡」には「治癒奇跡」と同様、以下のような定型があります。
1. 状況設定 (35~36節)
2. 提示 (37節)
3. 実施 (39節前半)
4. 確認 (39節後半)
5. 驚きの反応 (41節)
まず、「状況設定」 (35~36節)では、イエスと弟子たちが群衆を残して舟でガリラヤ湖に漕ぎ出します。
雨宮神父は、この舟はイエスが説教の際に使ったもの(4章1節)と同じであり、湖を渡って行く舟にはこの世を渡って行く教会という象徴的な意味があるかもしれない、としておられます。
ただし、福音書記者マルコがそれを意図してたかどうかは記事そのものからは分かりません。
次に、上記2~4の
「提示」 奇跡の必要性を示す
「実施」 奇跡を起こす言葉や動作を述べる
「確認」 奇跡が起こったことを確認する
ですが、ここでは38節後半を挟んで37~38節前半と39節が対称をなしていることが分かります。
弟子たちはイエスに
「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか。」(39節)
と問いかけます。問いかける、というより、この状況から考えて実際には叫んだのでしょう。
この「わたしたち」にはイエスも含まれると考えれば、「先生ご自身にも危険が迫っているのに良く平気で寝ていられますね!」と弟子達が言ったということになります。
40節にはイエスの「まだ信じないのか」という言葉が記されています。
これがこの聖書箇所で「弟子たちの不信仰」が問題とされているということの根拠となっています。
この信じる対象は誰かというと、雨宮神父によればそれは
「イエスの奇跡能力への信頼ではなく、神への信頼である」
ということになります。
旧約聖書の詩編107編には
主は嵐に働きかけて沈黙させられたので
波はおさまった(29節)
と謳われています。
荒れ狂う波を鎮めるのは、
「イエスの信頼に応えて働く神」(雨宮慧神父)
なのです。
「自分は神を信頼して、こうして落ち着いている。お前たちは何を騒いでいるのか。それほど神の力を信じられないのか」
イエスはこう弟子たちに応えたのでした。
イエスが「風を叱り、湖に『黙れ、黙れ』と言」(39節)うと風がやみ、湖がすっかり凪になったのを見て弟子たちは「いったい、この方はどなたなのだろう」と語り合います。
この「イエスとはいったい誰なのか」というのは弟子たちそして私たちにとっても極めて重要な問いです。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社
『主日の福音-B年』オリエンス宗教研究所