モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」(8節)

 

出エジプト記の20章から23章には

 

「十戒」

「契約の書」

 

が書かれています。

 

今朝の聖書箇所は「神とイスラエルの民との契約の正式調印の場面」(手島佑郎氏)ということになりますが、雨宮慧神父はここに次の三つの要素があるとされています。

 

1. 「主の言葉と法」が神と民の仲立ちとなる(3~4a、7節)

2. 「いけにえ」を通して神と民の交わりが現実となる(4b~5節)

3. 「血」が媒介となって神と民が一つとなる(6、8節)

 

雨宮神父によれば

 

「この(神と人との)交わりの上に成り立つ相互関係が『契約』という言葉で表現されています」

 

ということになります。

 

ただ最後に、これは蛇足になりますが、私たちにとっては「契約」というと何か「しちめんどくさい」という感じがします。

 

ましてその「契約」のために「(いけにえの)血を取り、民に振りかけ」た(8節)などということになると、何とも禍々しいと思えてしまいますね。

 

 

参考:

 

雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社

手島佑郎『出エジプト記-混迷を超えるプロジェクト-』ぎょうせい