わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(20節)
今朝の聖書箇所の冒頭には
「11人の弟子たちはガリラヤに行き」(16節)
と書かれています。
サッと読み流してしまいそうな箇所です。
しかし、ここで「行く」と訳されている元の言葉ポレウオマイには、「ある特定の場所に到達することに込められた個人的な意味を強調する」というニュアンスがあるとされています。
とすれば、ガリラヤに「行き」、ある山に登ったのは弟子たちにとっては特別の意味があった、ということでしょう。
ところが、
「この期に及んでまだ疑いを持っている者がその弟子たちの中にいた」
とマタイは記しています。
この「疑い」の原語ディスタゾーには
「一方はこちら、他方はあちらと二つの方向に分裂する、分裂した状態になる」
という意味あいがあります。
弟子になるということは「二つの方向に引き裂かれた状態から神の方向一つにしっかり向くこと」を意味しているといえるでしょう。
イエスは弟子たちに
「行ってすべての民をわたしの弟子にしなさい。」(19節)
と言いました。
この言葉からこの聖書箇所は通常
「大伝道命令」
と呼ばれています。
イエスは弟子たちに
「すべての民を弟子にする」
「父と子と聖霊の名によって洗礼を授ける」
「命じておいたことをすべて守るように教える」
ことを命じました。
まだ、心の中に疑いが残り、これから様々な苦労も経験することであろうが、
「『世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる』(20節)ことを信じて伝道に出発せよ」
とイエスは弟子たちに命令したのです。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社
『主日の福音-B年』オリエンス宗教研究所