互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。(17節)

 

先週は「ぶどうの木のたとえ」として有名な箇所でした。

 

それに続く今朝の聖書箇所では「とどまる」「愛する」「掟」の3つのキーワードがあります。

 

それらを見て行きましょう。

 

「とどまる」

 

この言葉は原語のギリシャ語ではμένω(メノー)です。 つまり、先週学んだ「つながる」と同じ言葉なのです。

 

今日の聖書箇所には「わたしの愛にとどまりなさい」(9節)とあります。

 

高橋重幸神父は

 

「イエズス(イエス-管理者註)の存在の最深部に留まることを意味しています」

 

とされています。

 

先週の聖書箇所に

 

「わたしにつながっていなさい」(4節)

 

とありましたが、この原文を直訳すると

 

「わたしの内に留まりなさい」

 

となるのです。 「つながっていなさい」というイエスの命令が、単に物理的につながっているようにと言う意味ではないことが分かります。

 

「愛する」

 

この言葉はヨハネによる福音書で37回も使われる重要な言葉ですが、これについては別稿で少し詳しくみることにいたしましょう。

 

「掟」

 

この言葉も今日の聖書箇所の中に繰り返し出てきます。 

 

掟、というとどうしても私たちは、それを破ると罰せられるような規則という意味にとってしまいます。

 

ヨハネによる福音書10章18節には

 

「わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

 

というイエスの言葉が記されています。

 

高橋神父はこの意味として

 

この「おきて」ということばでイエズスの受難と復活が救いの歴史の中に組み入れられるのです。

 

と結論づけておられます。

 

 

参考:

 

雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社

     『主日の福音<B年>』

高橋重幸『主日の聖書』オリエンス宗教研究所