わたしはまことのぶどうの木(1節)

 

ヨハネによる福音書15章の前半、1節から17節は大きく1~6節と7節~17節の二つに分けることが出来ます。

 

く1~6節の部分は新共同訳の見出しにあるように

 

「イエスはまことのぶどうの木」

 

として有名なたとえ話です。 

 

クリスチャンのカレンダーや絵葉書のテーマとしても良く用いられていますね。

 

ごく短いたとえ話ですが、少し詳しく見ると

 

1~2節:

「私はまことのぶどうの木」

「わたしの父は農夫」

「父は実を結ばない枝を取り除く」

「父は実を結ぶ枝をますます豊かに実を結ぶよう手入れをする」

 

5~6節

「わたしはぶどうの木」

「あなたがたは枝」

「つながっていれば豊かに実を結ぶ」

「つながっていない人は外に投げ捨てられ、まとめて焼かれる」

 

という風に、1~2節と5~6節が対になっており、それらに3~4節が挟まれている形です。

 

そして、3~4節では

 

「つながる」

 

という言葉が短い間に4回(原文では3回)も使われていることから、これがこのたとえ話の中心的なテーマであることが分かります。

 

この「つながる」という言葉は原語のギリシャ語ではμένω(メノー)ですが、これには「留まる」という意味もあり、ヨハネが好んで用いた言葉です。

 

「ヨハネはこの語を『自分の本来のあり方を見出したところにとどまる』という意味で使っているように思います。」

 

と雨宮神父は解説しておられます・

 

(参考)

雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社

     『主日の福音<B年>』オリエンス宗教研究所