彼は自らを償いの献げものとした(10節)

 

 

イザヤ書は66章からなる大書でエレミヤ書エゼキエル書と並び「三大預言書」と呼ばれています。

 

その66章の内、1章から39章までは紀元前8世紀頃に活動した預言者イザヤによるものですが、40章以降の作者はそれぞれ別の預言者と考えられています。

 

今日の聖書箇所53章を含め40~55章は紀元540年ごろ「バビロン捕囚」の地で活動した預言者によるものとされています。

 

ただ、その預言者については名前を初め具体的なことが一切不明なため、便宜的に「第二イザヤ」と呼ばれているのです。

 

元々はメデイア王国の属国であったアンシャンの領主に過ぎなかったキュロス2世が台頭し、数年のうちにエジプトを除く古代オリエント全体を統一するアケメネス朝ペルシャ帝国の初代王になったことが「第二イザヤ」の歴史的な背景にありました。

 

「第二イザヤ」はそのキュロス2世を「主が油を注がれた人キュロス」(イザヤ45章1節)とまで呼びますが、「バビロン捕囚」を耐え抜いたイスラエルの民からすれば異国の王を「油を注がれた人」と呼び、解放者とするメッセージは受け入れがたいものであったに違いありません。

 

イザヤ書52章13節~53章12節は新共同訳聖書にも「主の僕の苦難と死」という見出しがつけられているように「苦難の僕の歌」として有名です。

 

キリスト教の立場からすれば、この「苦難の僕」はイエス・キリストの予告です。

 

しかし、「第二イザヤ」は「多くの人が正しい者とされるために彼らの罪を自ら負」(11節)、「自らをなげうち、死ん」だ(12節)「苦難の僕」にイスラエルの民に受け入れられない預言者としての自分を重ね合わせたのがこの「苦難の僕の歌」ということでしょう。

 

(参考)

雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社

    『図解雑学 旧約聖書』ナツメ社

大貫隆他編『岩波 キリスト教辞典』岩波書店