イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(29節)

 

今朝の聖書箇所は大きく19~23節、24~29節、30~31節に分けられます。

 

まず、19~23節ではイエスが弟子たちの前に現れたこと(イエスの「顕現」)が記されています。厳重に戸締りをした家に閉じこもっている弟子たちの前にイエスが現れました。 

 

イエスを見て喜ぶ弟子たちにイエスは「平和があるように(シャローム)」と2度呼びかけ、彼らに息を吹きかけてから

 

「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。」 (23節)

 

と語りかけます。

 

「その罪は赦される」

 

と「受動態」になっていますが、その主体、赦すのは神です。地上で人が人を赦すとき、天上では神が罪を赦す、ということでしょう。

 

24節以下は「疑い深いトマス」、英語ではDoubting Thomasと呼ばれる有名な箇所です。 ここでは、

 

「指を釘跡に入れ、手を脇腹に入れなければ決して信じない」 (25節)

 

と、イエス復活を信じようとしなかったトマスがイエスに出会って

 

「わたしの主、わたしの神よ」(28節)

 

と言ったのに対してイエスは

 

「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(29節)


と言います。

 

新約聖書学者の田川建三氏は

 

「ヨハネの著者はこれが言いたくてこの福音書を書いた(中略)それがほとんど唯一の目標であった。」(田川建三『新約聖書 訳と註 5 ヨハネ福音書』 pp.726~730)

 

と結論づけています。

 

「信じることにとって大事なのは見ることではなく、聞くこと、神の言葉、宣教の言葉を聞くことである」(雨宮慧)

 

とヨハネは言っているのです。

 

(参考)

 

雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社

田川建三『新約聖書 訳と註 5 ヨハネ福音書』作品社