三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 (マルコによる福音書15章34節)
十字架につけられたイエスは嘆きの叫び声をあげます。
確かに、この箇所だけを読むとイエスが神に見捨てられ絶望の叫びをあげているように思えます。
実はこのイエスの言葉は旧約聖書の詩編22編の言葉です。
確かにこの詩篇22編は
わたしの神よ、私の神よ
なぜわたしをお見捨てになるのか(2節)
という言葉で始まり、
わたしを遠く離れないでください(12節)
今すぐにわたしを助けてください(20節)
というような哀願の言葉が続けられています。
しかし、それで終わっているわけではありません。
元玉川大学教授でユダヤ教・キリスト教研究者の前島誠氏は
「ユダヤ人は詩編で祈るのを好む。その際、冒頭の一節だけを明瞭に発生し、残りは口の中でボソボソと早口でつぶやくのがふつうの唱え方だ。」
とし、次のように述べておられます。
「イエスは生涯の終わりに詩編22編を祈った。それも詩編22編の全文で祈った。」
詩編22編は神への哀願から讃美の言葉へと変わり、最後は次のような言葉で締めくくられています。
わたしの魂は必ず命を得
子孫は神に仕え
主のことを来るべき代に語り伝え
成し遂げてくださった恵みの御業を
民の末に告げ知らせるでしょう。(30~32節)
詩編22編を祈ることによって自分を捨てたとしか思えない神の沈黙の背後に神の計画が必ずある、とイエスは信じていたのでした。
(参考)
雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社
前島誠『ナザレ派のイエス』春秋社