彼らはこの言葉を心に留めて、死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。(10節)
まず、今日の聖書朗読が9章の2節から始まっていることについてです。
新共同訳を読んでも分かるように、1節は内容的にむしろ8章に繋がっています。この聖書の章・節の区切りについては項を改めて、いずれご紹介いたします。
さて、2節の後半から9節にかけての部分には二つのポイントがあります。
第一にはイエスが行為の主体となっていないことです。
2節後半には「イエスの姿が彼らの目の前で変わり」(新共同訳p78)と書かれていますが、原文を直訳すると「彼は彼らの前で姿を変えられた」となります。
つまり、イエスは自ら姿を変えたのではなく、誰かあるいは何かによってその姿を変えられたということです。
第二には、この出来事が弟子たち、しかも「ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけ」に向けて起こっているということです。
つまり、この山上の出来事は限られた弟子たちに向かってイエスが誰であるかを教えることが目的であるといえます。
しかも、「姿が変えられた」という原文の表現からも分かるように、それを教えるのはイエス自身ではなく神に他ならない、ということです。
ペトロはイエスの変容を見て「わたしたちがここにいるのは素晴らしいことです」と感嘆し、イエス、モーセ、エリヤのために三つの仮小屋(幕屋)を建てよう、と手提案します(5節)
しかしマルコは、「ペトロは、どう言えばよいか、わからなかった」(6節)。実は何も理解できていなかったにも拘わらず、ペトロは兄弟子として何か言わないと拙いと思った、ということでしょうか。