お前は顔に汗を流してパンを得る

土に返るときまで。

お前がそこから取られた土に。

塵にすぎないお前は塵に返る。

(創世記3章19節 新共同訳)

 

 

 

神はエバを誘惑した蛇に呪いをかけました。蛇は「生涯、はい回り、塵を食らう」ものとなったのです。

 

蛇の誘惑に負けて知恵の木の実を食べたアダムとエバに対し、神は楽園からの追放に先だって、エバには出産の苦しみとアダムとの関係の断絶を、そしてアダムには労働の苦しみを与えました。 

 

今朝の箇所より前ですが、7節に「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り」とあります。

 

何気なく読み進んでしまいがちな箇所ですが、「羞恥心が知識探求の原点である」(手島佑郎『創世記-ユダヤ発想の原点(上)』ぎょうせい)と見做し、また「自分の裸が恥ずかしいという自覚は、自己認識と自己反省である」(同上)と考えると、いっそう興味深くなります。

 

実際、原文のヘブライ語では裸(アルール)と賢い(アルール)が掛詞になっている(手島佑郎 同上)のかもしれません。

 

アダムとエバは楽園を追放される憂き目に遭いました。

 

確かに彼らは神に処罰されましたが、決して蛇のように呪われたわけではありませんでした。「そこへの復帰の道が閉ざされたのではありません。」(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社)

 

さらに言えば、「楽園喪失の時点から、人間は自主独立の歩みをはじめた...だから、これは不幸な始まりではなかったのだ」(手島佑郎、前掲書)ということになるのかもしれません。