イエスは言われた。「近くのほかの町や村にへ行こう。 そこでもわたしは宣教する。そのためにわたしは出てきたのである。」 (マルコによる福音書1章38節 新共同訳)
カファルナウムの会堂で汚れた霊に取りつかれた男を癒した後、イエスの一行は弟子のシモンとアンデレの家に行き、高熱で床に臥せっていたシモンのしゅうとめを癒しました。
32節には「夕方になって日が沈むと」、人々が病人や悪霊に取りつかれた者たちをイエスのところに連れて来た、と書かれています。
何でもない表現のようですが、これは日没になって安息日が終わってから人々がやって来た、ということに注意を払いましょう。
翌朝の未明、イエスが人里離れたところで一人で祈っていると弟子たちが探しに来ました。
彼らに対するイエスの言葉が冒頭に引用した聖書箇所です。
売名主義者であったり、金集めに興味のある人であれば、村に残って、次々と奇跡を行ったはずです。しかし、イエスはほかの町や村に出て行きます。イエスが来たのは「宣教」のためであって、奇跡は手段にすぎないからです。(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社)