今世間を賑わしている
入試問題ネット流出事件について世間では
19歳受験生の不届きな性根とか
学校側の不正防止策の甘さとか
IT技術発達に対する認識の甘さとか
個人的資質や組織または
社会の認識の問題としている意見が
多く見受けられますが
私はこの事件を
もっと別なところに視点を置いて
深堀してみたいと思います。
私はこの事件の根幹は
受験をベースにした
教育の考え方そのものにあると思います。
19歳受験生は全国模試で
成績6位を取るほど優秀な受験生でした。
合格圏内の実力を持っているというのに
多くの人がなぜ
あのような愚かな不正行為に及んだのかと
首をかしげております。
でも私はもっと不思議に思うことがあります。
それはYahoo知恵袋で
19歳受験生の質問に答えた人についてです。
状況からみて知恵袋の回答者は
今回の不正行為とは無関係であることは
間違いないと思います。
そんな無関係なアカの他人が
なぜ京都大学のような難関大の入試問題の質問に
わずか十数分で回答したのでしょう?
このことを疑問に感じている人は
あまりいらっしゃいません。
しかし考えてみてください。
自分の生活に何の関わりもないのに
京大入試の難問回答に取り組むなんて
ハッキリ言って労力の無駄だと思いませんか?
単なる暇人か
自己顕示欲に囚われている人だからと
単純に片付けてしまえばそれまでです。
でも短時間で京都大学の数学の問題を解くなんて
単なる思いつきや暇つぶしでできることではないと思います。
(もちろんYahoo回答者は参考書か辞書を駆使して答えたかも知れませんが
それでも京大の数学問題をすべて正解することはかなり困難なことです)
正しい答えを自分で考え答えれば京都大学に入学でき、
前途洋洋たる人生が待っているはずの人が考えずに、
答えたところで何の利益もない人が考え、そして正解を答えた。
いったい何故こんなことが起きるのしょう?不思議です。
かつてマイクロソフトはプロのライターや編集者に依頼し
多額の報酬を支払いMSNエンカルタという電子百科事典を作りました。
しかし残念ながらこの百科事典、2009年にサービスを停止しました。
ネット上の百科事典といえば、すぐに思いつくのは
ウィキペディアだと思います。
こちらは今や270の言語で
1300万を超える項目を要する世界最大規模の百科事典。
このウィキペディアの記事作成には一切報酬は支払われません。
執筆者は皆ボランティアです。
それでもウィキペディアは世界最大規模にまで発展したわけですが、
どうでしょう?
今回の事件における不正受験生とYahoo回答者
と関係性が似ていると思いませんか?
19歳受験生はエリート人生に乗れるかどうかの瀬戸際でした。
受験に成功すれば一流大学に入り、
一流の就職によって
将来多額の報酬を得られるポジションに
立てる可能性がかなり高まります。
しかしYahoo回答者さんは
現在どのような社会的地位にいらっしゃる方かはわかりませんが、
知恵袋に正解を書き込んだところで何の報酬も利益も得られません。
(Yahooのポイントをもらっていたようですがそんなものは微々たるものです)
恐らく彼は何の欲もなく、
ただ知的好奇心でもって京大入試問題に取り組んだのだと思います。
本来、人のやる気というものは報酬によって引き出すことは難しいのです。
むしろ報酬とは無関係な立場にあり、知的好奇心や
人助け、社会的貢献といった人間性に根差した動悸によってこそ
人は自主的積極的に努力をするのではないかと思います。
今日の受験を目的とした教育においては学生に
勉強をさせる動機づけは将来の報酬に依拠したものです。
しかし、そんなものは学問に対する知的好奇心とは無縁であり。
本当の意味での学力向上には繋がらないのではないでしょうか?
人のやる気スイッチは
そのような目の前にぶら下げた人参では押せないのです。
自発的な知的好奇心による本当の意味での学力は
ウィキペディアのような大きな成果を生み出す可能性があると思います。
しかし今日の日本社会においてはそのような
学生の生きたやる気を引き出す努力など
時間と労力の浪費ととらえられ無関心であり、
やる気など学生本人の自己責任であると決めつけております。
でも私は思うのです。
利益によるインセンティブだけが
人の努力する動機に作用するということは結局幻想なのではないか?
そして社会の根幹たる教育が本来の学ぶ力ではなく
報酬による動機づけに頼っていることが
実は今日の日本が閉塞社会たる大きな要因となっているのではないかと。
今回の事件の本質はそんなところにあるように思えてなりません。