Ⅴ Midnight Rendezvous(前編)


…よくよく考えてみれば、ここまでの流れのなかで、彼女と僕が『付き合ってる』なんて、はっきりと言ったことはなかった。

2人とも、好き同士なことはわかっていたけれど、それでも『好き同士な友達』という曖昧なカテゴリーのなかで、未だに彼女と僕の関係は推移していたのである。


そんな関係が変わっていったのは、彼女の父親が亡くなってから1年が経った頃の話だった。


《彼女の父親が亡くなって1年》

この日は、秋雨前線が活発になったとか、そんなような理由であいにくの雨だったが、彼女はいつものように僕の家に遊びに来た。

この頃になると、僕はもはや彼女が僕の部屋に来ることに、なんの違和感も感じなくなっていて、別に抵抗なく彼女を部屋に迎え入れた。


そうして、しばらく彼女と雑談をしていると、珍しく、LINEの電話が鳴った。

普段は全くかかってこないので、少し不思議に思いつつ画面を見てみると、勤務先の同僚の結婚式のため、少し遠方へ母親と外出中の父親からだ。

その声はなんだかひどく焦っていた。

『お前、今、家にいるよな!?』

「え?…あぁ、うん。いるけど?」

『オレたち、この大雨で電車が動かなくなって、今日中に帰れないから、よろしくな!!』

「え!あ、ちょっと!!」

僕の声を待たずに、そのまま電話は切れた。


「なんだって?」

「なんか、両親が用事で少し遠くに出かけてるんだけど、行った先がすごい雨らしくてさ、今日のうちに帰れないんだってさ」

不思議そうに聞いた彼女にそう説明すると、
「え…」
と言った後で顔を真っ赤にしてうつむき、こう言った。

「…じ、じゃあ、ふ、2人きりってこと…?」

少し慌てる彼女にそう言われるまで、僕はそんな重大な問題に気づかなかった。

たとえ、あと数時間で彼女は帰るとはいえ、思春期を迎えた男女2人が、部屋のなかで2人きり。

しかも互いに好き同士。


そんなことに気づいてしまったせいで、自分のなかの正気を保つネジが吹っ飛んだ。

…外の雨も、部屋の窓ガラスを叩くように、段々と激しくなってきている。

そして、何を血迷ったか、僕は彼女にこう言った。

「…なあ」

「…うん?」

「…もし、雨のなか帰るの面倒なら、このまま泊まってけよ」

「えっ…!」


彼女が驚くのも無理はない。

好きな相手の部屋に、相手の方から泊まっていけと言われているんだから。

「え…、本当にいいの?」

恐る恐るといった感じで、彼女が僕に聞いた。

「…いや、やっぱり、男と2人きりはまずいか。でも、近いとはいえ、この大雨じゃ、あまり帰すのもよくないし…」

自分でも、何を言っているか分からないくらいに動揺している。
とにかく、なんで泊まってけなんて言ったのか、そこから分からないのだ。


そんなことを言いながらあたふたしていると、彼女がクスッと笑って、こう言った。

「…じゃあ、今日は泊まって行こうかな。せっかく、好きな人と一緒にいれるんだし!」

そう言って、彼女は満面の笑みを浮かべて、僕を抱きしめた。

「お、おい、急に抱きつくなって!」

「えへへ、だって、今言ったじゃん!好きなんだよ?」

彼女の、どストレートな言葉が僕の恋心をくすぐる。

いつもなら平気なセリフも、今日の僕には甘い毒のように思えてくる。

その毒のせいで、なにか一線を越えて、関係が変わってしまうことを少し怖く思う反面、このままの関係がもどかしいと思っている自分もいる。

…もう、どうにでもなれ。
あとは任せたぞ、神様。



とりあえず、2つ年下の女のいとこが泊まりに来ることがたまにあるので、タンスにあったと思われる下着とパジャマを彼女に渡して、シャワーを先に浴びてきてもらい、僕もバタバタとシャワーを浴びて、部屋に戻った。

戻ってくると、彼女が僕のベッドに座って、ドライヤーで髪を乾かしていた。

なんか色っぽく感じてしまって、まともに直視出来ない。

「あ、おかえりー。ごめん、勝手にドライヤー借りちゃった」

「あぁ、別にいいよ」

「それにしても、良く着替えあったね?下着まで…。…もしかして変態?」

「んなわけあるか!!いとこのだよ」

「いとこのパジャマと下着がずっと家にあるの?」

「いとこが少し抜けたやつでね。たまに泊まりに来るくせに、着替えを持ってこないんだよ」

「へぇ、面白い子だね」

「…どっか抜けてるだけだって」


僕と彼女の他愛もない会話は、よどみなく続き、窓の外の夜の、どこか清々しくも思える暗闇のなかへ吸い込まれるように、時間は早く過ぎていった。


「じゃあ…、寝よっか」

彼女が、疲れからか、あくびをしながら僕に言った。

「…そうだね。僕は下のリビングで寝てるから、何かあったら呼んで」

そう言って、吹っ飛んだ頭のネジの場所を、感覚的に自分で押さえつけるようにして、部屋を出ていこうとしたその時だった。

「…待って」

彼女にぐっと服の裾を掴まれて、僕は歩みを止めた。

「…どうした?」

そう言って、振り返ったときに見えた彼女の顔は、涙目だった。

「…一緒にいたい」

「え…?…何かあったのか?」

「ううん、ただ―」

そう言って、彼女はベッドに僕を押し倒した。


「―ただ、好きな気持ちが抑えられないだけ」

色っぽく感じてしまって、彼女のことをまともに直視出来ないのは変わらないはずなのに、僕はただ、彼女のそのセリフと色っぽさに惹き付けられてしまって、何も言えなかった。

何も言えない間に、ゆっくりと、彼女は僕に抱きつき、そのままキスをした。

いずれ、こうなる。
彼女との関係が変わっていくことくらい分かっていたはずなのに、今は何もかも分からなくなってしまった。

友達から『恋人』になった瞬間、世界が溶けて消えていってしまったのだ。

もう、どうにでもなれ。
少しだけ、薄紅色に染まった世界へ連れていってくれよ。

僕も、彼女が好きすぎるんだ。
(つづく)