音楽家として、3.11を振り返る。 | Vocalist 森丘崇の“ROCKでバキューン!!”

音楽家として、3.11を振り返る。

3.11についての話なんて耳タコかも知れないけど、何人が何回話したって無駄にはならないだろう。


音楽家として思い出すのが、「節電」と「自粛ムード」。



ライブハウスではライブイベントが中止になったりアコースティックイベントに変わったり。

お花見もいろんなところで自粛。




節電


節電


節電


自粛


自粛


自粛





個人的には最初から違和感を感じていました。




節電をしなければいけない理由はもっとも。

原発が動かないから電気が足りないからね。

それはイイんだけど、ライブハウスで使う電気量より、複数の家庭で使う電気量の方が明らかに多い。

バンドマンが10人くらいライブハウスに集まるなら、その時間はその人たちの家庭で電気は使わないわけだから、かえってその方が節電になる場合もある。

いいじゃん、普通にライブやれば。

それで気持ちが救われる人がいることの方が、よっぽど価値がある。

って思ってた。





自粛ムードも同じ。

本質は何なのかと、ずっと思ってた。

自粛することで被災者の方々が救われるわけじゃない。

むしろ、被災者じゃない人たちがお金を使って経済を回すことの方が大事なのでは??

って思ってた。




要するに、日本全体が

「そういう雰囲気じゃなかった」

ということ。





音楽含めたエンタテイメントや嗜好品は、

「衣・食・住」のあとに求められるものだから。




「衣・食・住」が保障されないなんて、近代日本において考えられなかったから。



だけど、エンタテイメントや嗜好品の優先順位が低いからと言って、それを「やってはいけない」「売ってはいけない」という風潮には違和感しかなかった。


だって、「そういう雰囲気」というもの以外、理由がないと思ってたから。




3.11の一週間後くらいにバンドでライブがあったんだけど、普通にバンド形態でライブやりました。

それでその場所にいるお客さんや演者が幸せな気持ちになることが、本当に大事なことだと思ったから。

正直、被災地まで行って直接的な支援活動までは考えていなかったし、ほとんどの人がそうだったはず。

だったら、自分と目の前の人が幸せになるように生きることが、自分にできる最大の仕事だと思ったわけです。




求められてもいないのに東北に向けて音楽を放つことなんて一番違うし、

かと言って音楽家が音楽を自粛したら、それはもう音楽家じゃない。

だから、震災関連で心が沈んだ「目の前の人たち」に、音楽で光を届けることが一番だと。



どう頑張っても、音楽は「衣・食・住」には優先順位では勝てない。

どう頑張っても、音楽は直接的な支援活動にはならない。




だけど、音楽があれば心が軽やかになり、気持ち的に誰かを救えるかも知れない。


それが音楽のいいところだよね。



生きてることに感謝。