直接被災地じゃない東京は、すっかりそのことを忘れているようだ。
ほぼ真っ暗となった街灯も、いまは煌々と明かりがともっている。
夕方のニュースで発表されていた放射線の数値は、いつのまにか言わなくなってしまった。
それが何を意味しているのかは、分からない。
東京は「日常」を取り戻している。
東京人にとって、いまの関心はオリンピック開催だ。
地震学や地球科学の分野では、いまだに東日本大震災の余震は続いているし、いつ大きな地震が来てもおかしくはないという。
しかし、そんな危機感は、どこにも見あたらなくなった。
それは震災の記憶が風化したからではない。
災害が「日常」になったからだ。
「日常」というホメオスタシスは、原発のメルトダウンという異常事態すら、その中に取り込んでしまった。
災害が「日常」となっては、その意味を深く考える事はない。
こうして人々は災害の恐ろしさを忘れていくのかも知れない。