別にこれと行って、思い入れのある場所というわけじゃないんだけど、それがいつの間にか消えていることに気づくと、なんだか寂しい思いになるよね。
家のベランダから見える風景。一〇年前とは明らかに違っていて、でもいつの間にかその風景が当たり前になって、何の感慨も湧かなくなってしまう。
毎日、通っていた道。久しく遠のいていたら、気づいたら見知らぬ風景になっていた。
それは街が生きている証拠。変化は、とてもいいことなんだと、理性では分かってるけど、それでも寂しい。
想い出の場所がすっかりなくなり、新しくそこへやってきた人たちによって、新しい歴史が紡がれる。
それはとても当たり前なんだけど、土足で自分の家に押し入られたような複雑な気持ちになる。
この五年。街の景色が変わる速度が上がった気がする。何かがあった場所が空き地に変わり、空き地だった場所にビルが建つ。
帰りに久々に椿地蔵の前の交差点で信号で止まった。
目の前の横断歩道を、母校の制服をだらしなく着た中学生が過ぎる。角のビルを観る。ここにはガソリンスタンドがあった。いまはレストランのテナントが入ったマンションに変わっていた。反対側をみる。ここにはバイク屋があって、よく中学生の頃は、裏に野ざらしにされたジャンクを拾ったもんだ。だけど、いまはちがう会社が入っていた。その隣の空き地はなくなり、ビルが建っていた。
だけど、椿地蔵だけは残っていた。そこだけエアポケットのようだった。
そういえば一〇年ほど前、この椿が枯れたということで切ろうという話があったが、住民の反対にあって結局流れてしまった。椿はその後復活したと聞く。
なんだかほっとした気分になって、その場所を過ぎた。
まだまだきっとこの町には、こういう土着的文化の跡が残っているはずで、新しく入ってきたヒトも、これらを媒介にして、この街の人間と交わっていけるはずだ。
考えてみれば、地元とは、そこに住んでいる人たちの共通認識の上に成り立つ概念で、決して物理的なものだけではない。
私にとって、今住んでいる町は、知らない街だったけど、15年も住んでいれば、自然と愛着が湧くってもんでね。
昔からこの街に住んでいる人から見れば、ヨソのヒトという感覚なんだろうけど、それでも私はここを地元と言いたい。