早朝 センバツ PL VS 砂川北
1984年センバツ初戦。
ホームラン6発をみまったPLが圧勝。
18-7.
あきらめずに7点を取ったのはさすがだと思う。
ただ、ピッチャーは桑田ではなく二番手以下の投手の継投だった。
PLの相手が砂川北ではなく函館有斗高校だったら、どうなっていただろうか。
砂川北は有斗の辞退による代替出場だった。
戦力的にもかなりひっ迫しており、前年秋の道大会決勝スコアは1-0。
有斗が辛勝。
決して、砂川北のレベルが低かった、とは言い切れない。
エース辰橋も評判の好投手。
だから、PLのほうが規格外だったということなのかもしれない。
有斗が相手だったとしても、同じようなことになった可能性は否めない。
昭和50年代・山科区・点景
シキシマパンVSヤマザキパン
日曜は菓子パンを買いに行くのが恒例で、楽しみだった。
で、シキシマに行くか、ヤマザキに行くか、選択が悩ましい感じだった。
どちらも捨てがたいが、俺はシキシマ派だった気がする。
シキシマを扱っている雑貨店では、コーラの「当たればもう一本」を連続して当てまくったりして怪しまれたりした。
いかさましているんじゃないかと。
確かにそうだろうけど、いかさましようがない。
当時のコーラは瓶式だ。
しようにもできないのである。
なんのことはない、蓋の横にある番号に秘密があり、それを学習していただけである。
ネットもない時代、この噂はクラス、近所に口コミで瞬く間に広がり、クソガキの客が殺到。
これはたまらんとばかり、シキシマは当たり制限を独自ルールで儲けていた。
コカ・コーラボトリングに許可を取っていたのだろうか?
今更ながら訴えたい気分だ(笑)。
ヤマザキパンはすぐにクリーニング屋に変わった。
クラスの山田みほこさんが客として来ていて、近所で顔をよく合わせるのがなんとなく気まずかった。
クラスでは隣で、時々なんとなく話していた気がするけど。
学外で会うと、途端にぎこちなくなる、あれである。
イメージとしてデビュー間もない八神純子に似ていたかも。
後々知ったけど、山田さんち、近所だったんだ。