アホーマンス | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

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基本毎日更新。名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
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梅雨、明けましたやん!!

てか、梅雨、やったっけ?

雨というよりも、雹が降ったことが記憶に新しい、今年の変な梅雨。

夏本番ってことで、出た佐々木の高校通算73号。

 

<高校野球練習試合:花巻東7-7ノースアジア大明桜>◇26日

花巻東(岩手)の2年生スラッガー、佐々木麟太郎内野手が26日、岩手・金ケ崎町内で行われたノースアジア大明桜(秋田)との練習試合で高校通算73号(公式戦13本、練習試合60本)を放った。

4-6で迎えた8回裏、右中間への特大2ランで同点に追いついた。その後、チームは勝ち越すも、9回に追い付かれ7-7の引き分けに終わった。

前日の山形中央戦でも1本放っており、これで岡本和真(智弁学園)の同73発に並んだ。センバツ後は「胸郭出口症候群」の手術の影響で調子を落としていたが、タイミングの取り方をつかみ、夏本番を前に量産ペースに入った。

 

 

 

 

「アホーマンス」は、松田優作の唯一の監督作品である。

で、これが当時、かなり先を行き過ぎていた感が否めない。

 

優作の演劇、音楽、何についても先を行き過ぎている感が溢れていて、いったい松田優作という人は、どういう人間なんだと、心から感服してやまない。

単なる乱暴者で、血の気が多い、暴れ馬、強猟犬、孤高のアクションスターのイメージだけでとらえていると痛い目に遭うのだ。

恐れ多い。

そしてさらに、センスが抜群にいい。

これはもう天賦の才覚であろう。

 

 

 

 

アホーマンスについては、当時、キネマ旬報なんかを読み漁っている無類の映画好きの妹が教えてくれた情報が始まりだ。

たまたま実家に帰っているときのこと。

1984,5年頃か。「

松田優作、監督とけんかして、監督降板して、自分で監督することになったみたいやで」。

 

優作らしいエピソードだ。

だが、本編の予告編なんかは情報番組なんかで何度か見たが、実際の本編を見たのは去年の夏だった。

遠く長い時間を経て、やっと邂逅した。

しかし、もう優作はいない。

平成の始まりともにハリウッドデビューし、そして風のようにあっという間に、天国という遠くの街へと旅立ってしまっているからだ。

 

 

 

 

映画の中でも抜群な優作のセンスは最大限に発揮されている。BGMひとつとってもなんと、「ベトナム音楽」が使われており、無駄なセリフ、解説は全くない。

クールに淡々と、さりげなく、しなやかに、独特のカメラワークを駆使して、進行してゆく。

六月劇場時代の優作の舞台のようである。

石橋凌と手塚里美が二人で淡々と食事をするシーンの静寂感もまた、すごくいい。

ポール牧の静かで底なしの狂気の表現、ラストのどんでん返し、すべて優作の脚本だそうだ。

監督が降板したのを機に、何と脚本も大幅に書き直したのである、盟友・丸山昇一の手を借りて、優作本人が。

 

ところで、降板した「天才助監督」小池要之助は、探偵物語の最終回「ダウンタウンブルース」の監督であり、下関市出身でもある。

ちなみに山下真司も下関市幡生出身である。

 

 

というか、京都から山陰本線に乗れば、丹波口、二条、円町、花園を経て、嵯峨嵐山、保津峡、himy71の潜伏先亀岡を抜け(笑)、えまの住んでた園部を抜け、福知山、豊岡、鳥取、島根を経て、下関幡生に至るという。