鉄拳制裁 | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

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基本毎日更新。名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
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鉄拳制裁

西本幸雄さんは、「殴る監督」として有名であった。

試合中は常にピリピリとした雰囲気があり、手抜きや怠慢と見られる自軍のプレーに対しては容赦なく拳を振るったという

ただし、あくまでも「厳しいのはグラウンドの中だけ」

余程のことでなければグラウンド外に怒りを持ちだすことはしなかった。

 

有名なのは「羽田投打事件」。

 

1975年5月30日、阪急西宮球場での対阪急戦の試合中に西本が羽田耕一を殴打した事件である。

この年、話題を集めた阪急のルーキー・山口高志に対して、近鉄は打撃投手を前から投げさせるなどの対策を練り、9日前の初対戦では勝利したが、4回を終わって0-1の状況で、5回表の攻撃前に西本監督は円陣を組ませ、「ワンストライクを待て。高めのボールは絶対に手を出すな」と指示。

 

しかしこの回の先頭打者だった羽田は、2球続けて高めのボール球をファウルした後、ショートゴロに打ち取られる。

怒った西本は、ベンチに戻ってきた羽田の頬を平手打ち

実は羽田は、試合の円滑な進行のための先頭打者の慣習としてウエイティングサークルに入っており、西本の指示は聞きようがなかったのである

 

当の羽田自身は、引退後に「最初は悔しかったけど、時間が経つにつれてしょうがないと思った。僕は怒られることは多かったが監督に対して絶対的な信頼があったので反抗したことはなかった」と語っている。

 

なお、5回の攻撃で羽田が凡退した後に近鉄は3点を挙げて逆転、最終的には6-2で勝利している

 

2015年2月2日に行われた三田学園高校の監督就任会見の際羽田は理想とする指導者として西本の名前を挙げて「本当に厳しい方で、今ではやってはダメだけど、手を出す方。でもグラウンドから一歩出ると優しくて、面倒見のいい監督だった。当時の選手は誰一人、悪口を言わなかった。そういう選手から慕われる監督でありたい」と述べていた。