前回からの続きになりますが
「今ここ」を認識することが難しい方の内側を想像してみます
私は椅子に腰掛けてます
正面に娘がいます
いつもの見慣れた顔です
笑って話しています
ふと右を見ます
あれ?家の食卓にいると思っていたのに
なんだか知らないおうちだわ・・・
ちょっと不安になって娘に言います
「そろそろ帰りましょ」
しかし、不安で落ち着かない私に
娘はあきれたような顔をしてこう言うのです
「何言ってるの、お母さん、ここがお母さんの家でしょ
お父さんが亡くなって、1人じゃ心配だから、この施設に入ったんじゃないの」
「ああ、・・・・」
娘に笑い顔を見せて取り繕うものの
さっきよりもさらに大きな不安が押し寄せます
・・・お父さんが亡くなった・・・
・・・施設に入った・・・
・・・この部屋は私の部屋・・・
実感のない言葉に頭は混乱し
その状態を娘にうまく伝えることもできません
あくまで一つの想像なので
実際はもっと色んな感情や記憶が入り乱れていると思います
時間の流れや空間の移動がわからなくなると
「今ここ」を捉えることは難しいのだな、と
現実として「私」が「今」「ここにいること」は確かなのだけど
「私」の内側ではそれを認識することはできない
イライラや不安は
時として、怒りや実際にさまようことでしか解消されないのかもしれません
時間と空間の認識というのは
当たり前のようだけど当たり前じゃない
とても大切なもの、と教えてくれているようです