南米生まれのジャガイモは インカ帝国滅亡の後 スペインに渡った。その後、フランスやドイツの啓蒙君主たちも普及につとめ わすが5百年の間に全世界に広がった。赤道直下から北極圏まで、これほど各地で栽培されている食物もない。痩せた土地でも育ち 栄養価の高いジャガイモは「貧者のパン」として歴史の転機で大きな役割を演じた。アイルランドの大飢饉 北海道開拓 ソ連崩壊まで、ジャガイモと人々をめぐるドラマ
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ミツゴ評価 ☆☆☆☆☆
<書評>神に愛されし食物
ジャガイモである
ジャガイモはすばらしい
収穫が大きく(エンゲルスによれば小麦の3倍) 保存が効き 栄養価も高く 日照りや天災にも強いし、寒冷地や水のアクセスの悪い土地でも栽培可能、おまけに調理は皮をむいて茹でるだけ・・・・
最後については、1言
中世ヨーロッパでは パンを焼くときは領民は領主が経営するパン窯をお金を払って使わせてもらっていた(公共料金、一種の税金だ)
つまり ジャガイモはそんなお金を払わなくていいという民草にとっては経済的な作物であった
ただ 問題もある
1つは 非常に病気に弱いという事
特に大量生産を狙えば特定の品種に栽培が偏る為 1つ病気が流行るとあっという間に全滅してしまう
これが問題になったのが 1845年からのアイルランド大飢饉である
人口は激減(800万人→650万人)し、文化の担い手がいなくなった為 アイルランドのイギリス化が急速に進んだ
また イギリス政府が有効な対策を打てない事が後のアイルランド独立運動に繋がる
さらにはジャガイモは「安い」という事もある
小作人は領主へ地代を払わなければならない それは時に収入の半分に上った
小作人は 支払いの為 単価の高い作物、日本なら米 アイルランドなら小麦を栽培せざるを得ず、結果 それらの作物が不作の時にジャガイモに頼れなかった歴史がある
東北の昭和飢饉の時、ある小作農は軍隊にいる息子にこう言った
「死ね、生きて帰ることは許さない、お前が死ねば国から支給される一時金がどうしても必要なんだ」と
東北地方は悲惨だった 街には失業者があふれ、6万人という女性が身売りされた といわれた
小作農達は 豊かさを求め 海外 特に満州へ向かった、ジャガイモを携えて・・・・・
やがて 太平洋戦争が始まり ソ連が満州へ進攻、日本人は満州から逃げだす事になった
当然着の身着のまま 食べ物なんか持ち合わせてはいない
だから中国人の畑に忍び込んで ジャガイモを失敬したりもした
日本に帰れても、帰る場所なんてない(故郷では「満州でいい思いしたんだろ」的なやっかみがあった)
だから 那須高原等に集団入植もした
栽培するのはやっぱしジャガイモ
海外に目を向けると 焼け野原になった ドイツ ベルリン
市民は食べるものがなく ティアガルデンでジャガイモを栽培したりした
ソ連崩壊後のモスクワ
インフレと流通システムが崩壊し 市民はダーチャ(別荘)でジャガイモ栽培し 自給自足の生活をおくった
ジャガイモは偉大だな と思う1冊
