古代中国の文明発生時、巨大な都市文明の建設に伴って大規模な自然破壊が行われた。孔子・墨子・老子等の諸子百家は、この問題についてどう考えたのか。彼らの間でかわされた論争を交え、その文明観を紹介する。自然と文明の関係が切実な問題として問われている今日、そこには環境問題を考える際のヒントが隠されている。
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ミツゴ評価 ☆☆☆☆☆
<書評>自然との付き合い方
前も書いた?気にしない 気にしない
文明とはある意味では自然から富を捻出するアプローチと言える、と思う
農業は山を切り開き 河川をコントロールし、大地に負担をかける、だから食料が実る
都市の産業は森林を燃料とし、大地より鉱物資源を収奪する、だから金属等の製品が産まれる
文明は 天が与えた自然を、富に変換し、人間が消費するアプローチ、とも言えよう
本書は古代中国の思想家達の 自然と富へのアプローチを巡る対比といえるだろう
人間社会には秩序がある、言い換えれば身分社会だ
身分社会を成り立たすには格差、特に経済的な格差が必要である、一目で上下関係がわかれば 下剋上を抑えられるという考えだ
つまり 王侯貴族は「カツカツな生活の」庶民より 多くの資源を消費する必要がある、はたして資源は足りるだろうか?
儒家は足りる、と答える 何故なら身分秩序は天の采配、故に天は潤沢な資源を提供しているハズだ、と
現実にはしばしば 資源は不足する、これは天の怒り、天の資源を使いこなしていない 人間のミステイクだと言う
是正するには天の道にそうような 手厚い(金と資源の掛かる)儀式や王侯貴族の浪費(による、身分秩序の安定)が必要となる という
これが孔子の考え方、正直 私は傲慢だと思うが
墨子は真逆だ
自然には限界がある、富にも限界がある、誰かの浪費は 別の誰かの貧困へ繋がる
だから 浪費はやめよう 直接生産にリンクしないモノ、宗教への資源投下はやめよう という発想だ
具体的には薄葬や音楽の禁止だ
音楽というのは王侯貴族のソレで、豪華な楽器類による大規模なオーケストラをさしている
当然 一揃えするのはかなり高い、財政的な負担だ
それで 人民の飢餓や寒さを防げるだろうか 防げないならもっと有意義な投資をすべきだ という発想だ
老子は文明という自然へのアプローチを否定する
馬は人間に飼い馴らされ、本来の性質を失い、豊かな文明による贅沢は人間の五感を狂わせる、という訳だ
簡単に見たが つまりは「自然」と「富」を利用すべきか? 利用するならいかにすべきか?というアプローチの違い、と言えそうだ
