歴史とは 1人の英雄が動かすのか、あるいは時代が動かすのか その辺の話

百年戦争はフランスの勝利で終わったが はたしてジャンヌダルクは必要であったのか?
フランスはジャンヌダルクの御蔭で勝てたのか?という話

まず 百年戦争勃発時のフランスとイギリスの国力、人口や生産力は 3~4:1 といわれ 圧倒的にフランス側が優勢であった
当時は 国力=人口=農業生産 の時代であった為 肥沃な領土をもつフランス(面積では日本の1・5倍、ただし当時は若干狭い)がイングランド(面積で言えば九州程度)を圧倒するのは当たり前の話であった

では何故 ジャンヌダルク以前はフランスは不利であったのか?
当時のフランスは日清戦争末期の中国に似ており 早い話 国中がバラバラであった
何故なら 有力貴族が複数おり それぞれの思惑で行動していたからである
中立=協力拒否 ならまだいいが 酷い話だとブルゴーニュ公国みたいにイングランドと同盟を結ぶケースすらあった

つまり当時のフランスは国力を発揮できない環境にあった
しかし皮肉な話だが、イングランドに対する劣勢が状況を変革させた

今までフランス王国の財政は 王領の税収に依存していた
つまりフランス国内の貴族や教会の領土の住人からは税金は取れなかった訳である(彼等も税負担がない訳ではなく、それぞれの領主や教会へ支払っていた)

が 百年戦争の激化により 王家は三部会を開き 今まで臨時課税に過ぎなかった税を恒久的に取り立てる形となった
直接税(タイユ) 塩の専売 ロンバール税(イタリア商人への課税)等が有名であるが これにより王家の歳入は当初数十万リーブルだったものが 最終的には200万リーブルを越すようにすらなった

さらに注目すべきは先程触れたブルゴーニュ公国の動きである

百年戦争の直接的な動機は イングランド王家が血縁関係にあるフランス王家に対して フランスの王位継承権を主張したことにある

実は当時のフランス王妃は ドイツ人(バイエルン出身)なのだが 早い話 浮気者であり その子供はフランス王家の血を引いていないという疑惑が背景にある(疑惑の真偽については当然当人達にしかわからない)
つまり フランスの貴族達や有力市民(ブルジョアジー)は 正当な血筋ではない(少なくとも疑わしい)フランス王家への忠誠と協力には懐疑的であった

それを一変させたのはシャルル7世のランス戴冠であった
ランスとはフランス東部シャンパーニュ地方の都市であり フランク王国のクロヴィスが戴冠した事から 「ランスで戴冠してこそフランス王」という考えがあった
シャルル7世はランスでの戴冠式に 当時イングランド寄りであったブルゴーニュ公国の有力者を呼び フランスを1つにまとめあげる努力をした
その時のシンボルこそが「神に遣わされた」というジャンヌダルクである

結果を書けば ランス戴冠を成功させたフランス王家をフランス貴族が支持し、またパリ等の有力都市もフランス王家を受け入れた事、そして税収の増加とそれに合わせた官僚制の整備がフランス王国のポテンシャル(イングランドに対する国力的優位)を引き出し 最終的には百年戦争に勝利した、と言える

さて こうして書けば 百年戦争とは「いかにフランスの国力を引き出すのか」という問題であり ジャンヌダルクはその為に使われたシンボル、というよりアイドル(偶像)であった
三部会による増税もフランス王家の正当性なしには不可能であっただろう

逆にイングランド側はいかにジャンヌダルクのアイドル性をおとしめるかが焦点となってくる
ジャンヌダルクという偶像の失墜はフランス王家の権威の失墜=フランスの国力発揮の低下 となるからである

興味があれば ジャンヌダルクの宗教裁判や処刑についてウィキペディアでも見てみればよろしい


こうして 書けば 戦争力(軍事だけとはかぎらない)=国力(経済力、技術力、人口、資源)×士気(士気、国民のやる気=モチベーション) であると気付かせてくれる

例えば ベトナム戦争は 単純な国力であれば ベトナム<(越えられない壁)<アメリカ であった
しかし 士気の面では 「大儀が曖昧であった」アメリカと「祖国の統一という目的がある」ベトナムには雲泥の差があり それが 「戦争力」へと跳ね返った形となった

さて 先に「歴史は1人の英雄が作るのか?時代が作るのか?」と書いたが、結局は時代が人を選ぶ という事だと思う