三つ子のキャットシットワンのブログ-ウサちゃんのデート.JPG

ノイローゼ気味です orz
皆さんは「仮面ライダー」はご存知ですよね? 私はクウガ(オダギリジョーのヤツね)までですが 最近はなんかイロイロ変わっていると聞きます
今回は昔の仮面ライダーの話です。

仮面ライダーの悪役には「戦闘員」がいたと思います、アノ「イーッ!」とか言うヤツですね。

皆さんが怪人(指揮官)になって 数十人の戦闘員を動かすとします。
その時「戦闘員003号は胃痛持ちなんだな」「戦闘員015号は来週結婚するんだな」なんて考えないと思います
数十人単位ですれば貴方のオツム(情報処理能力)は確実にパンクしますから。
だいたい1人の人間の統制可能人数の限界は5人、出来れば3人までとされています。
では戦闘員の数を減らす?そうしたら確実に戦力は低下します。
ならばどうするか?といえば「戦闘員の情報量を制限する」という形になります。

というのは 例えば戦闘員の個性を排除して、戦闘員の能力を統一する事です。
貴方が作戦を起てる立場なら
A 大勢の人間の長所短所を最大限に活用する作戦を起てる
B 大勢の人間が必要最低限の能力の作戦を起てる
のどちらが楽でしょうか? Bですよね
つまり戦闘員達は特別な能力を期待されない代わりに 一定の能力に合わせて作られている訳です。

これって現実でもあります。
詳しくは「科学的管理法」でググッてもらえれば良いのですが、工場労働者の場合、「人より著しく優れている」より「人と同じペースで働ける」事を重視されます
何故なら工場労働(そして社会全般が)流れ作業だからです。
人より優れていても流れ作業では効率は上がりません。

そして管理する立場なら「皆同じ程度の能力」の方が管理が楽チンです
最たるモノは学校です。
1人の教師が40人もの子供(オレの高校はそうだった)をコントロールするなら 同じような連中を集めて同じような教育をした方が楽だし ソレ以外では40人もコントロールできません。
つまり最初から「個性を伸ばす教育」に期待するのは間違いだと言う事です。
さて本題、太平洋戦争中の日本軍はかなり「個性的な」軍隊でした。
何しろ同じ銃でも弾が合わないなんてされていました
この辺は工業精度の低さに由来します 何しろベアリングの標準公差(誤差)が欧米の10倍とされている位です。
よくも悪くも戦力が多様性に富んでいたといえそうです
坂井三郎(エースパイロット)みたいな人間がいる一方で「マリアナの七面鳥狩り」なんて事があるという事は教育システムの欠陥が指摘できそうです

一方アメリカ、こちらは科学的管理法発祥の国だけあって飛び抜けて有能な人間がいない代わりに飛び抜けて無能な人間もいませんでした、戦力の多様性に乏しい代わりに安定的でした。
用兵側から見ればどちらが使いやすいでしょうか?勿論後者です。
アメリカ側もこの辺解った上で生産をしています

子供だましとバカにされがちな仮面ライダー、そこには極めて近代的な思想が流れていました
そして日本軍にはソレが乏しかった・・・
我々は真に歴史を学ぶなら イデオロギーや陰謀論よりコチラの方が未来への教訓になるのではないか?そう思います