大学生らしい女性が、「私は別にそんな長生きしたくない。40歳ぐらいで死にたい」と言っているのを聞いた。よほど退屈な人生を送っているのだろうか、と暗澹たる気持ちになってから、いや、そういうわけでもあるまい、と思い直した。二十歳そこそこの女の子にとって、40歳というのはほとんど想像もつかないほど遙かな未来なのだ。それに、僕だって若い頃は長生きしてジジイになるのなんてかっこわるいと思っていたものだ。今は違う。あと5年も経てば僕も40歳になってしまう。死ぬには余りにも早い。やりたい仕事はまだ全然できていないし、映画だってあと1000本か2000本は見たい。読みたい本はいくらでもある。絵も描いてみたいし習いたい楽器もあるし外国にもいっぱい行きたい。あと何年生きられるかはわからないが、どれだけ時間があっても足りることはないという気がする。
気狂いピエロ [Blu-ray]/ジェネオン・ユニバーサル

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殺人を犯した若い男と女が演じる、軽やかで虚無的な逃走劇。輝かしい太陽と海の間を無目的にさまよいながら、彼らが徐々に死へと引き寄せられてゆくさまを観ていて思い出したのは、もちろんカミュの『異邦人』だ。全く不条理としかいいようのない世界観だが、何度本名を告げても女に「ピエロ」と呼ばれる男、なぜだかラストにペンキで顔を青く塗りたくる彼の背負った悲しみだけはヒリヒリするほどにリアルで、観終わったあともしばらく呆然としてしまった。

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あだち充は好きな漫画家の一人で、大学生の頃まではよく読んでいた。以前このブログでもタッチを賞賛する記事を書いたほどだ。科白を最小限に抑え、余白を極めて巧みに使い、余韻を残す作風は、いかにも日本的な叙情に満ちている。王朝和歌とフランス近代文学を好む文学少年が彼の作品に心酔するようになったのは、当然といえば当然かもしれない。もちろんそれは僕だけに限った話ではなく、センチメンタルな物語を好む多くの少年・少女たちが、まるではしかにかかるようにあだち充に夢中になった時代があった。
しかしあの叙情的で美しい漫画が、僕らの世代に、生きていく上で良い影響をあたえたかどうかといえば、また別の話である。あだち充の作品に共通する、重要な暗黙のルールがある。それは、「知的な者同士の純粋な想いは、口にせずとも自ずと互いに伝わる」というものだ。これはシャイな少年・少女たちにとっては実に都合の良い世界観で、「察する」ことや「空気を読む」ことが美徳とされる日本においては、ある程度現実性を持っているようにも見える。
しかし結局それは幻想に過ぎないのだと多くの人は成長過程のどこかで気づくことになる。想いは口に出さなければ伝わらないし、それどころかどれだけ口数を費やしても決して正確に伝わることはあり得ない。絶望的なほど世界には誤解が蔓延している。何かを伝えるということは基本的に非常に難しいのだ。
もちろん、想像力を動員して人の心を「察する」ことや「空気を読む」ことは、コミュニケーションをとる上でとても大切なことだ。もしかしたら日本人がその能力に長けているのは事実かもしれない。しかし、それに頼るのは傲慢だし、危険なことでもある。みんなが朝倉南や上杉達也みたいに優しくて頭がいいわけじゃないのだ。僕は、「わたしの気持ちを察して」といわんばかりの態度をとり、周りがその気持ちを察しなかった場合に機嫌を損ねるタイプの人のことを、絶対に信用しない。最低限の言葉を使わなければ想いは伝わらないし、さらにいえば、それに行動が伴わない限り、他人をその想いどおりに動かすことはできない。
しかしあの叙情的で美しい漫画が、僕らの世代に、生きていく上で良い影響をあたえたかどうかといえば、また別の話である。あだち充の作品に共通する、重要な暗黙のルールがある。それは、「知的な者同士の純粋な想いは、口にせずとも自ずと互いに伝わる」というものだ。これはシャイな少年・少女たちにとっては実に都合の良い世界観で、「察する」ことや「空気を読む」ことが美徳とされる日本においては、ある程度現実性を持っているようにも見える。
しかし結局それは幻想に過ぎないのだと多くの人は成長過程のどこかで気づくことになる。想いは口に出さなければ伝わらないし、それどころかどれだけ口数を費やしても決して正確に伝わることはあり得ない。絶望的なほど世界には誤解が蔓延している。何かを伝えるということは基本的に非常に難しいのだ。
もちろん、想像力を動員して人の心を「察する」ことや「空気を読む」ことは、コミュニケーションをとる上でとても大切なことだ。もしかしたら日本人がその能力に長けているのは事実かもしれない。しかし、それに頼るのは傲慢だし、危険なことでもある。みんなが朝倉南や上杉達也みたいに優しくて頭がいいわけじゃないのだ。僕は、「わたしの気持ちを察して」といわんばかりの態度をとり、周りがその気持ちを察しなかった場合に機嫌を損ねるタイプの人のことを、絶対に信用しない。最低限の言葉を使わなければ想いは伝わらないし、さらにいえば、それに行動が伴わない限り、他人をその想いどおりに動かすことはできない。