目の前の仕事を一生懸命こなすのは基本的に「まじめ」なことだと思うが、それだけで、その人が誠実に生きている証明にはならない。たとえば本当にやりたい仕事、やるべき仕事が他にあるのに、そのための努力を厭い目先の稼ぎを優先しているとすれば、それはある意味「ふまじめ」と言える。あるいは、仕事にかまけて家族や友人をないがしろにし、結果的に周囲に不幸な人を増やすとすれば、それも「ふまじめ」かもしれない。

結局のところ、まじめに、誠実に生きているということを、何を持って判定すれば良いのだろう。それはたぶん、本人が死ぬ間際にならなければわからないのではないか。いまわの際に、「私は自分の良心に対して誠実に人生を生きた。結果はさておき、何も悔いはない」と、心の底から思えたなら、「まじめ」な生涯だったのだろう。

僕は今35歳なので、普通に考えればあと30年ぐらいは生きることになる。しかし、心から誠実に生きている、と実感できる瞬間はそれほど多くはない。僕はもともと身体があまり丈夫でないので、仕事が忙しくなると風邪をひいて、土日は寝込んで過ごすことが多くなる(それでも平日はなんとか働けるところが、いかにも勤勉な日本人らしいところだ)。そういう意味では、残り30年というのは決して長い時間ではない。

ときどき、死の床にある、老いた自分の姿を想像してみる。「彼」は果たして自分の人生に満足しているだろうか。「なぜ若い頃、もっとやりたいことにチャレンジしなかったのだろう」と果てしない愚痴をつぶやく、うっとうしい老人の姿が、目に浮かんでくる。「彼」のために今何ができるのか、そろそろ真剣に考える時期が来たのかもしれない。