王朝和歌が美しいのは古語の響きが美しいからではないと僕は思う。本当にそうだとしたら、今の日本人も古語で詩や文章を書けばいいし、それらは無条件で美しい作品になるだろう。でも、もちろん実際にそうはならない。滑稽な時代錯誤にしかならない。

王朝和歌が美しいのは、当時の和歌が、恋愛や仕事、生活において欠かせない重要な伝達・表現の手段だったからだ。切実に伝えたい情報があり、それを最適な形式で表現しようとしたとき、はじめて文章は強い力を持つ。その力が、現代人の心を打つのだ。

現代人の文章力が低下している、というような説をよく聞く。国語の授業を増やすべきだ、などという人もいる。しかし本当に問題なのは、切実に何かを伝えたいと考える人が減っていることなのではないか。