歳をとったのだろうな、と思う。街で中高生を見かけると、なんだかまぶしく見えるようになった。若いということはやはりなんだかんだ言ってそれ自体貴重なことで、彼らの有しているエネルギーは、われわれ三十路の人間とはけた違いに大きい。いくら隠そうとしても漏れいずる、その光がまぶしいのだ。
もどかしくもある。若い人は、たいてい退屈し、疲れ、不毛な時間を過ごしている。彼らにとって時間というのは永遠に続く無限の存在なのだ。
僕らは違う。時間は有限で、人が思ったより早く老いることを知っている。死を身近に感じる、ということはまだできないにせよ、そろそろ生命保険に入ろうかな、とか、人間ドックに行ったほうがいいかも、などと考えたりする。
やるべきことはたくさんある。それに比べて、命は短い。それを知っているから、僕は無駄な時間は一分たりとも過ごしたくない。限りあるエネルギーを、節約し、細かく配分し、かろうじてやりたいことをやる。それにひきかえ、彼らは湯水のように時間とエネルギーを浪費している。それが、うらやましいやら、もどかしいやら。
今、クライアントとの打ち合わせを終えた僕は、マクドナルドで書き物の仕事をしている。ななめ前のテーブルで、4、5人の女子高生が談笑している。ざわめきにかきけされてよく聞こえないが、どうやらどうでもいい話であることは確かだ。でも、楽しそうではある。
僕は気づく。彼女たちが輝かしいのは、その時間が不毛だからなのだと。砂漠の真ん中で、残り僅かな水を使ってシャンプーをする貴婦人みたいに、彼女たちは貴重な時間を浪費する。彼女たちが、こうしている間に温室の果物のような速さで老いつつあるのを思うとき、僕の目は例のまぶしさで何も見えなくなるのだ。