地震は天罰によって降りかかったものだ、という趣旨の発言をした政治家がいる。政治家の細かい失言をいちいちあげつらう趣味はないけれど、さすがにこの発言の無神経さ、愚昧さには呆然とした。


世の中には、天災・人災問わず、無差別に降りかかってくる巨大な不幸というものがある。それは昔から幾度となく繰り返されてきたことであったし、そこでは被害を受けた人がどのような人であったか、ということは全く意味を持たない。善人の上にも、悪人の上にも、等しく不可避的に訪れるのが、災害というものである。「天罰」などという前近代的・呪術的な表現で、近代国家の為政者がこうしたシビアな事態を語ることが、許されていいものではない。


むろん、善行が幸福により、悪行が不幸により報われるという因果応報の考え方そのものもは、決して悪いものではない。しかし、それはあくまで原則に過ぎないし、もう少し踏み込んで言えば、弱い庶民を道徳的にコントロールするために考え出された「方便」である、ともいえる。現実の世の中では、むしろ悪いやつのほうがよくうまい汁を吸う。そんなことぐらい、子供でも本当は知っているのだ。


従って、因果応報の思想をみだりに敷衍することは、危険なことだと思う。その結果、「財産をはたいてお布施をすれば病気が治りますよ」といった怪しげな宗教が幅を利かせたり、「悪」の烙印を捺して罪なき他者を迫害するといったことが許されかねないからだ。


人は善く生きるべきである。しかし、それは必ずしも満足ゆくかたちで報われるとは限らない。科学的に考えてそれは当たり前のことだ。だからこそ為政者や知識人の役目は、この悲しむべき状況を少しずつ改善してゆくことなのである。