歌うべきこと特になし城の上で鯱の目に烏とまれり


※鯱:しゃちほこ


大阪を去ることになった。


そこで、一念発起して大阪城に登ってみたのである。30年近く大阪で暮らしていて、一度もあの城に登ったことがないというのでは、東京の人に示しがつかない。この街で暮らす最後の日々の記念に、あの城へ登ろう。いくらかセンチメンタルな気分で、仕事を片付けた後、僕は一人でふらりと大阪城公園駅へ下り立ったのであった。そして城の上で得た感興をもとに、歌詠みのはしくれとしてなにか気の利いた歌を一首読む。なかなか悪くない思い付きである。


けれども、実際にひとりで登ってみると、城というのは思いのほか退屈なものなのである。確かに立派な歴史的建造物ではあるけれど、外壁や屋根などはピカピカに改装されて、なんだかプラモデルを巨大化したみたいな感じだし、内部は歴史展示コーナーになっていて、まるで城らしくない。


城に入ると、まず直通のエレベーターで5階まで行くよう案内される。エレベーターにはガイドさんが乗っている。真木よう子みたいな、クールでセクシーな現代的美女。城なのに。乗客は僕ひとりだった。5階までのぼる間、彼女は例のガイド的な話し方で、僕だけのために大阪城の見所について説明してくれる。僕は要所要所で黙ってうなずく。彼女は、一度も僕の目を見ない。もしかしたら僕の姿が見えていないのかもしれない。彼女は一方の隅をきれいな目でじっと見つめながら、お祈りを暗誦する修道女のように、おごそかにしかし簡潔に城の素晴らしさを語る。そのクールな解説がフィナーレを迎えるのと同時に、扉が開く。ブラボー。冗談めかしてねぎらおうと思ったが、声が出ない。思った以上に、疲れているのだ。真木よう子に軽く会釈をして、フロアに降りる。


大阪人は、わざわさ水曜日の夕方に大阪城に登ったりしない。城にいる人々のたぶん半分くらいは、一見日本人のように見える、中国人か韓国人。その他は、他の地方から来た日本人。いずれにせよ、彼らは遠方からはるばる大阪へやってきた人たちである。僕は違う。天守閣の上から目を凝らせば、自分の家が見つかるかもしれないくらい、近くに住んでいる。なぜおれはここにいるのか。何度目かに、またそう思う。


最上階へ来た。外へ出ると、ひどく風が強く、冷たい。構えたカメラが吹っ飛ばされそうだ。その寒さのせいか、せっかくの眺望に立ち止まる人はほとんどいない。僕はやっとの思いで何枚かの写真を撮影し、金色の鯱ごしに京橋のツインタワーの見えるところで、文学的霊感が湧き上がってくるのを待つ。風。風。風。背の高い白人の男が高笑いをする。風に抗いながら、目の高さを横切るカラス。その一羽が、鯱の目のところに止まり、カアと言う。そうだ、と僕はようやく気がつく。僕がいなくなることなんて、この街にとってはなんてこともないのだと。



城を出る頃には、日は沈みかけていた。大阪城ホールの前には若い女性の行列ができている。SMAPでも来ているのだろうか、とぼんやり思っていたら、案の定誰かが香取真吾の顔を貼り付けたうちわを手にしていた。冬なのにうちわか、と思ったものの、確かにあのような用途に役立つ道具として、うちわの代わりになるものは特に思いつかなかった。物事にはおしなべて必然性が隠されている。それにしても、冬空の下嬉々としてアイドルのコンサートに集まる彼女(一部男もいるが)たちを眺めていると、不景気なんて嘘みたいだ。


駅は人ごみでごった返していて、改札口がかすんで見えた。踵を返し、歩いて向かった次の駅は、限りなく遠く思えて、歩くことは死ぬほど退屈だった。退屈すぎて死なないように、歌のことを考えていたら、歌うべきこと特になし、という歌ができた。