何故か最近、シューマンをよく聴く。

素直な気持ちになりたいときは、

ドイツ・ロマン派の音楽がいいのかも知れない。


特にこのところ繰り返し聞いているのがこれ。


ポリーニ(マウリツィオ), シューマン
シューマン / ダヴィッド同盟舞曲集

シューマンの特徴は、

とめどなくあふれ出すような美しいメロディと、

痛々しいほどあらわにされた青年のロマンティシズムだと思う。


構成的な完成度で比べればベートーヴェンやブラームスには

全然かなわないし、洗練された甘美な優美さではメンデルスゾーンや

ショパン(あるいはモーツァルトも加えてよいか)の方が遥かに上をゆく。


いろんな人が指摘していることだが、

シューマンは決して神に選ばれた音楽の天才ではなかった。

彼は自分自身の中にある限界を常に目の前に突きつけられながら、

それでも自分だけの音楽を書かずにはいられない青年だったのだ。


特にシューマンのすぐ近くには、

ベートーヴェンの再来と賞賛されたブラームス、

そして天才的なピアノの詩人・ショパンがいた。


皮肉なことに、シューマンは作曲家である以上に

批評家として優秀だった。

彼は、年下のライバルである彼ら二人を、雑誌の評論の中で激賞、

世間に広く紹介することに尽力したのである。

そしてシューマン自身の評価は、最後までいまひとつぱっとしないまま。


その上、天才的な女流ピアニストとして知られる妻クララ・シューマンと

美貌の青年であったブラームスとのあいだに生まれたきわどい友情は、

繊細な文学青年であったシューマンの心を傷つけずにはいなかった。

シューマンはもともとピアニスト志望だったが、無理な練習がたたって

作曲家に転向したという経緯の持ち主。

妻の才能と収入の高さにも、彼は嫉妬しなくてはならなかった。


シューマンはそうした苦悩の日々の末、

ある日ライン川に身を投げて自殺をはかり、

最後は精神病院で息をひきとることになる。


――もちろん、そうした個人的な物語と、今僕らの時代に残されている

彼の音楽とは、直接関係のあるものではない。


しかし、彼の音楽の中にある、「未完成であるからこその圧倒的な美」

のようなものは、どうしても彼の人間性の核のようなところから

生み出されたような気がしてならない。

だからこそ、それを聴くたびに僕らの胸は打たれるのだろう。


今回紹介したディスクはシューマンの

代表曲が収められているものではないが、

ありったけの情熱を自由に五線譜へたたきつけたロマンティックな音楽を

ここでは聴くことができる。

僕のような素人が聴いても、どこかゴツゴツとしていて、決して巧くはないのだ。

しかし、一度聴き始めると決して無視できない何かがそこには確かに在る。

「ちょっと頑固でうるさいけどものすごくいい奴だからほっとけない親友」が、

「頼むからおれの音楽を聴いてくれ!」と声をからして訴えかけているような、

押し付けがましさと紙一重の抗しがたい魅力にあふれた音楽なのだ。


特にお勧めなのは、シューマンが25のとき書いた「管弦楽のない協奏曲」。

変なタイトルだがピアノの独奏曲で、ピアノソナタ第3番とも呼ばれる。


整然とした構成が求められるソナタという形式を用いながらも、

感情の流れをそのまま音に移し替えたような、極めて激しい音楽だ。

そういう意味ではやはりどこか破綻していて、失敗作なのかもしれないが、

少なくとも僕はベートーヴェンのピアノ・ソナタにひけをとらず好きだし、

シューマンにしか書けない名曲の一つに違いないと考えている。


歌曲とピアノ小品の作曲家として評価されるシューマンだが、

この曲の持つ不思議な熱っぽさはもっと広く知られてもいいと思う。