いつもエスカレーターに乗るたびに疑問に思っていたのだが、
何故、エスカレーターと手すりの速度はどこでも微妙に
食い違っているのだろうか?
乗り初めからずっと手すりの上に手を置いていると、
いつの間にか手の方が先に進んでしまい、
とんでもない前傾姿勢になってしまう。
それに気がついたらもう一度手すりを握りなおさなくてはならない。
大変面倒である。
技術的にそれが実現できない、
という理由は考えにくいだろう。
何しろ日本は技術で食っている国だ。
たかだか手すりの速度を合わせるぐらいのことが
できなくて、何がIT革命か。構造改革か。
だがそれでは何故こんなだらしない状態を
エスカレーター業者は野放しにしておるのか。
説明がつかん。
などと憤慨しつつ手すりをぼんやり眺めていたら、
いつの間にか段の一番下まで来ていて、
危うくつまずきそうになった。
後ろにも人がいる。ここで僕が転ぶと大惨事だ。
ああ危ない。
あ、そうか。
もしかして、こうしたうっかりをなくすために、
あえて手すりの速度をずらしているのではないか。
つまり、手すりの速度が安定していたとしたら、
人々は安穏の内に浸りきり、エスカレーターの秘めたる
危険性にまるで思い及ばないまま
終着点にたどり着いてしまうのである。
さすれば日本中のエスカレーターの終わりで
転倒者が続出、ラッシュアワーなんぞに至っては
将棋倒しが日常茶飯事、といった未曾有の
修羅場が持ち上がるのに相違ないのである。
ところが手すりが常に先に進むようになっていれば、
人々はなんだ面倒だと忌々しく思いながらも
いちいち手すりを握りなおすという所作を行い、
それによって自らの立ち位置を改めて
再認識するに至ることができるという寸法だ。
蓋しよく出来たカラクリと言うべきであろう。
☆
といったことを帰りの電車で考えていて、
おれ、すげえ。と思っていたのだが、
こうして書いてみるとなんだか大したことないですね。