やっぱり、音楽は、いい。プロの演奏ももちろんいいのだが、アマチュア、とりわけ学生の演奏には独特の緊張感と新鮮なパワーが感じられるから好きだ。
☆
同志社大学の近くにあるアルティという音楽ホールで、「京都・国際音楽学生フェスティバル2006 」というものが開かれている。開催期間は、5月27日から31日までの計5日間にわたる。
その名の通り、ヨーロッパ各国の芸大・音大の選抜メンバーが一堂に会し、各国の音楽を演奏するというコンサートだ。奏者は当然みなアマチュアの学生たちばかりなのだが、出てくるのは各国でトップクラスの成績を修めて来た学生だから、べらぼうに巧い。仲には、下手なプロより巧いかも、と思わせるほどの演奏をする人もいる。
☆
昨日、その1日目を観てきた。その日の参加国はルーマニアとチェコ。共に民族色が濃く、そして数々の名奏者を生み出してきた土地だ。
詳細の曲目なんかはホームページを見れば分かることだし、ここで云々してもマニアックな話になるばかりなのでやめておく。
前述の通り奏者は一様に達者な演奏をするのだが、この日のプログラムの中では、ルーマニア代表のヴァイオリニストの女の子が、特に強く印象に残った。
西洋人にしては小柄で、すごく華奢な体つきをしていて、肌はミルクのように白い女の子だった。胸元の大きく開いた黒っぽいドレスを着ている様子は、ほんとうに人形みたいである。
腕前もなかなかのもので、ルーマニア出身の代表的作曲家であるジョルジュ・エネスコのヴァイオリン・ソナタ(エネスコ自身が超一流のヴァイオリニストだったため、曲ももちろんかなり難しい)を情感たっぷりに歌い上げていた。絹のように柔らかい音色と、はっと息を呑むような熱っぽい官能性を兼ね備えた、素敵な音楽家だった。
☆
立ち上がって演奏するヴァイオリニストを見ているといつも思うのだけれど、ヴァイオリンほど大きく身体を動かしながら演奏する楽器というのは、他にないんじゃないだろうか。アルコ(弓)を大きくボーイングするダイナミックな動きに加え、彼らは身体全体を音の流れに合わせて揺らす。
歩いている姿はかわいらしい美少女だった彼女も、舞台に立てば、例外ではない。
強いライトに照らされた女性奏者の、陶磁器のようにつややかな肌の下で、しなやかな筋肉が躍動するのが分かる。アルコを押し上げるときには鎖骨の下の薄い大胸筋が、アルコを引くときには肩の後ろ側の後背筋が、そして優美な曲線を描く大腕二等筋が、それぞれくっきりとした陰影を現して、力強く緊張するのだ。音楽家というよりは、まるでスポーツ選手のように。
それを目にしたとき、今更ながら、僕は気づかされる。――器楽奏者は、単にアルコを持った右手と左手の運動の組み合わせによって楽器を鳴らしているわけではない。文字通り、身体全体を使って、いや自らがヴァイオリンと融合した一つの楽器と化して、音楽を創るのだ。
そういえば、日本の誇る世界的指揮者・小澤征爾が、こんなことを言っていた。
音楽はまず声から出発するんだ。全部の楽器は全部人間の声の代理なんだ。人間の声がやりたい願いをヴァイオリンでは、フルートでは、トランペットでは……。あーッと叫びたいところをポーッと鳴らす、それからターンと足で踏むところを太鼓やティンパニーが叩くわけでしょう。(小澤征爾・武満徹 『音楽』)
そうだ、音楽というのは小手先の技術だけでやるものじゃない。楽器というのは一つの道具に過ぎなくて、「歌っている」のはまさにその一人の人間の心であり、からだなのである。
最前列に近い席でルーマニアの名も知らぬ女学生の熱演に見入りながら、僕はぼんやりとそんなことを考えていたのだった。
☆
彼女はほぼ間違いなく、この先プロのヴァイオリニストになるだろうと思う。
でも、再びソリストとして極東の舞台に立つような日が来るかどうかといえば、その可能性はあまり高くはないのではないか。世界には僕などが名前も知らない優れたソリストがごまんといる。たとえコンクールで良い成績を残したところで、ひしめくライバルたちの中から頭角を現し、コマーシャリズムの波に乗るのは並大抵ではないだろう。
彼女は祖国・ルーマニアの合奏団の一ヴァイオリン奏者として生きていくことになるかも知れない、あるいはヴァイオリン教師として、生きていくことになるかも知れない。いずれにせよ、僕が彼女の演奏を再び見ることは、恐らくないだろう。
でも(あるいは、だからこそ)、普段は国立ブカレスト音楽大学で音楽を学ぶ彼女の姿をこうして日本で見ることができて、ほんとに良かったと思う。彼女の人生にとって、昨日の舞台は一つのハイライトである。演奏が終わったあとの、すがすがしい彼女の笑顔が、そのことを、はっきりと物語っていたのだ。
☆
それにしても、――と、帰りの電車の中で、僕は考えた。
自分の好きな楽器に青春を、また人生を賭けられるというのは、なんと刺激的で、幸福なことか。少なくともクラシック音楽の分野では、幼少から音楽を学ぶ環境を持たなかった者にとって、そうした生き方を選ぶチャンスというのはほとんどないに等しい。
僕は子供の頃から特に楽器を習ったことがなかったし、音楽を聴く環境も与えられなかった。大学に入ってから趣味で音楽を始めたときは、譜面が読めないせいで大いに苦労したものだ。
でも、今となってはそのことについて、文句を言うつもりはない。仮に3歳の頃からピアノを習っていたとしても、僕には開花すべき才能もなかったし、音楽で食べて行きたいというほどの情熱を持つことも結局なかっただろうから。
それでも、やっぱり、音楽は、いい。プロになるとか、ならないとかじゃなくて、好きな音楽をより自在に、イメージどおりに奏でられるということは、それ自体ほんとうに幸福なことなのだ。
そういう機会を与えるために、これから先子供が生まれたら、ピアノぐらいは習わせてあげたいなあ、と思う。
☆
※まるで今にも結婚しそうな勢いだが、そんなことはないです。