過激極まるブラック・ジョークやスラップスティックで知られる作家・筒井康隆。その歯に衣着せぬ辛辣な表現のせいで、好き/嫌いの最も激しく分かれる作家でもある。
まあ確かに、「こんな書き方をしたら気を悪くする人もいるんじゃないか?」と思うこともたまにあるし、トラウマになりそうなほど残虐な描写もしょっちゅう出てくる。そういうのを受け付けない人を非難しようなんて気はさらさらない。
ただ、この人のエッセイや小説を丹念に読んでいくとわかってくるのだが、筒井康隆という作家は、おそらく深い部分ではすごく純粋でロマンティックで、まじめな人だ。これは筒井康隆の影響を受け、筒井康隆に才能を見出されて文壇に登場した町田康ともよく似た事情だと思う。
今日は筒井康隆のそうした純粋な部分をうかがえる美しい短編小説を紹介したい。
新潮文庫から出ている短編集『薬菜飯店』に収録されている、『秒読み』という作品だ。
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舞台は近未来のアメリカ。主人公はボブ・ギャレット大佐という50過ぎの軍人である。
物語は彼が夜勤を終えて帰宅しようとしたところから始まる。何やら基地内の雰囲気がおかしいことに、彼は気づく。
それもそのはずだった。誰もが恐れていた核兵器による最終戦争の開始が、ついに確定したのである。同僚が言うには、あと数十分間で、それは始まるのだという。もはや「秒読み」段階であった。
ボブはこの事実に絶望する。この期に及んで最終戦争を止めることは絶対できないし、このまま帰宅したところで望みのないわずかな時間を家族と過ごすばかりだ。
そこでボブは、普段は乗らないバスに乗って帰宅することにする。以前、そのバスに乗っているときに、一瞬の間、過去に時間が遡ったような気がしたことがあったからである。馬鹿げた気休めだとは思いながら、半ば現実から目を背けるような思いで、ボブはバスに揺られていた……
すると、彼は本当に40年前、ハイスクールの生徒だった頃にタイム・スリップすることに成功してしまったのだ。肉体は少年の頃に戻り、ただ記憶だけが現在のまま残った状態で。
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「もし、今の記憶を残したまま、あの頃に戻れたら……」このような仮想は誰もが一度はしたことがあるであろうし、これをテーマに書かれた小説や漫画もは幾らでもある。しかし、『秒読み』ほどこのテーマを巧みに生かし、ノスタルジックに練り上げた作品はないと思う。
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精神年齢が50過ぎであることを知られてはならないことから、最初は戸惑ってばかりのボブ。しかし、既に一度青春時代を経験しているボブは、これから先に何が起こるのかを全てあらかじめ知っている。昔は解決することができなかったトラブルも、大人の経験を持った今ならきちんと対処できるのだ。
このまま時が流れればいずれまた40年後には最終戦争が起こる、そのことに不安を感じつつも、彼は今目の前にあるハイスクール生活を、以前よりも良いものにしていこうとする。
前の人生では特に理由もないのに宿敵同士のままハイスクールを卒業してしまったニックと仲直りをする。平和主義者として生きるため、突然士官学校への進学希望を翻す。そして、かつては思いを打ち明けられなかった美少女・シンディとの恋。
ボブの心は若返った肉体に影響されるようにして、ティーンエージャーのそれに戻っていく。中年男のはずなのに、シンディの美しさにときめき、恥らってしまう。そして、すがすがしい青春を謳歌する中、ボブ・ギャレット大佐としての記憶も徐々に薄れていくのだが……
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ラストシーンはこの牧歌的な小説に相応しい、とても素敵なボブ少年の一言で締めくくられるのだが、これは伏せておこう。興味のある方は是非ご自身の目で確かめて下さい。特にとんちの利いた台詞、というわけじゃないのだけれど、個人的には何度読み返してもかなりジーンとしてしまう。
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『秒読み』は文庫本にしてせいぜい20ページ程度の短い小説なのだが、本当に短編のお手本のような巧い文章だと思う。構成も完璧だし、古き良きアメリカのイメージもよく描けている。
何より凄いのは、ボブの精神が疲れた中年軍人から少年へと移り変わっていく描写だ。緑の野原を駆け抜けながらいつの間にか一人称が「おれ」から「ぼく」に変わっている場面なんか、本当に憎らしいほど巧い。もともと出発点が純文学ではなくエンターテイメント小説だった筒井康隆だからこその、円熟した技法。是非注目して頂きたい。
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ちなみにこの短編が収められている『薬菜飯店』という短編集自体、かなりレベルが高いです。グロテスクな話も混じっているけれど、完成度は高いので読んで損はないと思います。