「イケメン」という若者言葉の普及に驚いている。


 先日、飲み屋に行ったら(僕の話はこればっかりですね)、僕の親父ぐらいの歳のおっさんが、若い店員さんに向かって、


「おっ! あんた、イケメンやね。イケメンってよういわれるやろ!?」


 としきりに言っていた。店員さんがちょっと困っていたのはさておき、「イケメン」という言葉はもはや、これぐらいの年代の人にまで、浸透しているわけだ。


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 読売新聞に連載されているある漫画の中で、「ハンサムという言葉は誰も使わなくなった。寧ろ『ハンサム』という言葉自体がハンサムではなくなりつつある」というようなことが書いてあって、なるほどなあと思った。確かに、比較的語彙の古い僕ですら、誰かのことを「ハンサム」と呼ぶのには違和感を感じてしまう。あえて僕が「ハンサム」という言葉を使うとすれば、西洋の俳優に対してか、ちょっと古風なタイプの男前の人に対してだろう。


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 そういえばずっと前にオーストラリアを旅行したとき、お土産屋さんの女のひとが僕にやたらと「ハンサム! ハンサム!」と連呼していたのを覚えている。「ハンサム」という単語で形容されたのはその時が多分最後だ。まあどう考えても営業トークですけどね。


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 ハンサムといえるのかよく分からないが、僕は芥川龍之介に似ているとこれまで3人ぐらいの人に言われたことがある。


 いずれもちょっと髪を長く伸ばしていたときのことだ。僕は芥川龍之介のファンなので似ていると言われて悪い気はしないのだが、実際はあまり似ていない。僕は細面ではあるがどちらかといえば柔和な顔立ちで、あんなカミソリみたいにギラギラした目つきはしていない。たぶん、似ているのは純粋なルックスじゃなくて、言動の理屈っぽさの方だろう。


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 あと、芥川に似ている、と僕を指して言う人は皆、何故か半笑いになっているのが常である。


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 しかし、写真に写るときの芥川龍之介は何であんな異様に気合が入ってるんだろう? 


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 昨日、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』という戯曲を読み終えた。


 53年前にパリで初演されたいわゆる不条理劇だ。「ゴドー」という名の人物が来るのを道端で待ちながら、二人の浮浪者と通りがかりの奇妙な二人組が延々とかみあわない雑談を続けるという話で、結局ゴドーは来ないし何も起こらない。


 感想を書こうと思ったのだが、うまく書けそうにない。なぜなら僕自身がその作品についてよくわかっていないからだ。どんなに筆の立つ人間でも、自分の分からないことはうまく書けない(分かった振りして書くのはたやすいけれど、それはつまらないことだ)。


 でも、よくわからないなりに面白いのも確かで、こういう感動というのは本当にどう言葉にしたらいいのか困ってしまう。


 困った挙句、イケメンについて思いついたのでとりあえず書いた次第です。ごきげんよう。