俵 万智
あなたと読む恋の歌百首

 近現代の短歌にあまりなじみのない人の入門書としてはうってつけの一冊である。与謝野晶子、石川啄木から寺山修二、塚本邦雄といった昭和の前衛歌人、そして俵万智自身の新作まで、明治以降の日本の短歌史をこの一冊でざっくりと俯瞰できる。一人の歌人の編んだ歌集を延々と読んでいくのはちょっと疲れる、という人でも、俵さんの軽妙な恋愛談義に乗せられながら、それぞれ個性的で素敵な100の短歌をじっくり味わえるようにできている。


 僕自身はこれまで王朝和歌が好きで、近現代の短歌を軽視しているところがあったのだが、この本を読んでその印象を改めることになった。短いけれど、やはり31文字の詩形というのは今なお日本語の美しさを活かす最も有効な器であり得るし、中には一編の長編小説にも勝る内容を背負った歌だってあるのだ。


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 印象に残った歌を幾つか紹介してみよう。トップバッターはこの歌。


 肌の内に白鳥を飼うこの人は押さえられしかしおりおり羽ぶく  佐佐木幸綱


 とってもダンディな歌だと思う。愛する女性をこれほど美しく端正に表現した男の歌を、僕は他に知らない。「押さえられ、しかしおりおり羽ぶく」という句は、男に抱きすくめられながらも無意識にそれに抵抗しようとする、官能的な女の美意識を連想させる。


 「恋愛をするならば、相手の男性にこんなふうに受け止められたい」と俵さんに言わしめた歌。ちなみに佐佐木さんは現代歌壇の大御所の一人で、俵さんの師匠のような存在でもある。


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 そうかと思えば、こんなポップでかわいらしい歌もある。


 君の眼に見られいるとき私(わたくし)はこまかき水の粒子に還る  安藤美保


 なんだか、ポップス音楽の歌詞に出てきそうなさわやかな歌だ。好きな男性に見つめられた瞬間のときめきを「水の粒子に還る」と表現する鮮やかなセンスがいい。無数の水晶玉さながらに弾ける水しぶきが目に浮かぶような気がする。


 「透明なのに手触りがある、不思議な読後感だ」と俵さんは評している。なお、作者は1991年に事故死している。24歳だったというから、もったいない。


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 もちろん、誰もが知る大御所の歌だってすばらしい。


 かの時に言いそびれたる

 大切の言葉は今も

 胸に残れど

              石川啄木


 言わずと知れた名作である。啄木の歌集を延々と読んでいるとそのセンチメンタリズムにちょっと疲れてしまうのだが、こうして一首を取り出してじっと読んでると、静かに感動が湧き上がってくるのがわかる。彼の言葉には、涙腺をくすぐる独特の匂いがあると思う。ショパンの甘い夜想曲を聴いているときの感じにちょっと近いかもしれない。


 結句の「のこれど」という言いさしの表現が、利いている。あきらめにも似た気分。が、「のこれり」と言い切れるほど、作者の気持ちは完結して割り切れてはいない。


 とは、俵さんの評。歌人らしい冷静な分析だ。


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 最後に、ちょっと変わった一首を。


 いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるためのふたり  浅井和代


 短歌ではなかなか珍しい、自由律ですね。でも、口ずさんでみるとそのリズムの良さはあくまで韻文のそれであることが分かるだろう。意味は書いてあるそのままである。ああ、そうだよなあ~としんみり心にしみてくる。激励の歌のようでもあるし、ちょっと冷めた悟りの歌のようでもある。


 すべてがひらがなで書かれている。なにかそれは、少女がぽろっと人生の真実を言葉にして呟いてしまったような、純粋さと恐ろしさとを感じさせる表現だ。と同時に、最後の「ふたり」という言葉にたどりついたとたん、また最初の「いつか」という言葉に戻ってゆくような、メビウスの輪のような終わりのなさをも感じさせる。


 俵さんはこのように評している。なるほど、と唸ってもう一度読み返してみて、納得する。


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 ちなみに、この本の目的は無論色とりどりの100首を順に味わっていくことにあるのだが、俵さんの筆はしばしば歌論から脱線して、自分の体験に基づいた恋愛論に展開している。これがまた、一体どれだけたくさんの恋をしてきたんだといいたくなるような多彩さで、とても面白い。そういった種類のエッセイとして読んでも十分楽しめる一冊だ。