俵 万智
愛する源氏物語

 『源氏物語』は1000年以上にわたり読み継がれている古典中の古典だ。名だたる文豪たちがいくつもの名訳を残してきたし、漫画や映画などのメディアでも常に取り上げられ続けている。これはひとえに紫式部の緻密な心理描写と構築的なストーリーのたまものであろう。まったく、これほどまでの規模と完成度を誇る恋愛小説というのは、世界文学を見渡してもそれほどたくさんはない。


 ところで、僕ら現代人にとってさえこれほど斬新なストーリーを備えた『源氏』だが、案外、作中に登場する和歌については無視されがちなのではないだろうか。


 現代の小説とは違い、この時代の物語では進行上必ず和歌が出てくる。恋のかけひきはもちろんのこと、夫婦喧嘩や世間話をするときでさえ、当時の人々は和歌によって意思の疎通を行うのだ。そうした風習を失ってしまった僕らにとっては、これがけっこう面倒くさいもので、「歌のおおまかな意味さえわかればいいや」と読み飛ばしてしまいたくなることもある。


 しかし、『源氏』は一種の「歌物語」である。作中にはなんと、795首ものも歌が登場しているのだ! 歌人としても名高かった紫式部が、多彩なキャラクターになりきって腕によりをかけて書いた800近くもの歌。これを単なる技巧的な「暗号文」として読み捨ててしまうのはもったいない!


 ……ということで、本書である。現代屈指の歌人でありエッセイストの俵万智さんの書いた解説書『愛する源氏物語』は、『源氏物語』に登場する和歌の解釈を中心に、『源氏』の魅力について語ったものなのだ。


    ☆


 和歌に関する解釈なんて小難しそうだ、と思われる方もいるだろうが、軽妙なエッセイにも定評のある俵さんの文章は、そうした面倒くささは一切感じさせない。わかりやすく歌の背景や技巧について説明してくれる上、紹介したすべての和歌に、彼女の現代語訳(もちろん、短歌形式だ)が添えられている。


 たとえば光源氏の息子・夕霧が未亡人・落ち葉の宮を口説いたとき、「浮名が立つのがいやなのです」と拒否を示されたのに対して歌ったこんな歌がある。


 おほかたはわれ濡れ衣をきせずともくちにし袖の名やはかくるる


 これを俵万智さんが訳すと、こうなる。


 大丈夫ボクがいなくてもどっちみち君の名前は汚れてるから


 ものすごい、身も蓋もない訳ですね(笑)。


 落ち葉の宮は亡夫・柏木との不仲のせいで、既に世間ではちょっとした噂話の種になっていた。それならいまさら僕と結ばれて世間に騒がれたところでどうってことないじゃないですか、だから付き合いましょうよ、という歌である。ひどい口説き文句ですね。


 もちろん、俵さんはこの夕霧の無神経さを浮き彫りにするために、あえてこんな風情のない翻訳をしているわけで、そういう意味でとても効果的な解釈といえるだろう。


 全編、こんな調子で続くポップな現代語訳を読むのがなかなか楽しいのだ。


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 それから面白いのが、『源氏』の登場人物たちの行動に対する俵さんの解説だ。通説にとらわれない率直な解釈(とはいえ、時代背景を逸脱することはない)は大変痛快で、一貫して現代の若い女性の視点から論じられた『源氏』像には、男性読者からするとドキッとさせられる鋭さがある。


 第一、彼女の男性キャラクターへの評価には全く容赦というものがない。


 「この光源氏の行動はひどすぎる」とか、「夕霧の口説きの下手さにはうんざり」とか。天下のスーパースターたちに対して、まるで下町のおばちゃんみたいに、ずけずけと意見している(笑)。ここまで一貫して、男たちに翻弄される女の立場から素直に書かれた評論(?)というのはなかなかないんじゃないか。


 読んでいるとけっこう女性のキャラクターに対しては同情的で評価が甘かったりして、どうも不公平な気もするのだけれど、なんだかそれでもいいや、と思わせる愛嬌のある文章なのだ。


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 一番おもしろいなあと思ったのは、光源氏の死後(いわゆる「宇治十帖」)に主人公となる、薫に対する評価だ。俵さんは、こんなストレートな告白をしている。


 実は私は、宇治十帖を読むと、けっこうストレスがたまる。その大きな原因は、薫である。シャレではないが、うじうじした彼の煮え切らなさにつきあっていると、なんだか疲れてしまうのだ。


 薫は表向きには光源氏と皇女・女三の宮との間に生まれた息子だが、実の父親は青年貴族・柏木である。「不義の子」という後ろ暗い出生のためか、薫は美貌と富に恵まれながらも光源氏とは対称的に、ひどく憂鬱な堅物に育っている。


 彼は宇治に寂しく住んでいる親王の娘・「大君」に一途な恋をするが、彼女の固いガードをいつまでたっても破ることができない。直接対面して添い寝するところまで行きながら、彼女がOKしないからというので手を出さずに一晩を過ごすというほどの誠実な男なのだ。


 俵さんはこの薫の慎重さを一貫して「弱気すぎる」と一蹴し、光源氏ばりの口の巧さと行動力で女を落としてしまう薫のライバル・匂宮の態度の方を良しとしている(浮気な態度に対してはちゃんと釘を刺しているけれど)。


 うーん、しかし、そう決め付けてしまうのはどうだろうか? 確かに薫は作中、3人の女性に思いをかけて結局すべての恋に失敗したわけだけれど、僕としては彼の一途さは評価してあげたいし、寧ろ彼をよくわからない理由でかたくなに拒み続けた大君(薫にとって最初の、そして最愛の女性)の態度のほうがひどいと思う。だって、彼女の基本的なスタンスは、「物質上の援助はありがたく受け取るけれど、男女の仲になるのはイヤ」というものですよ。しかも彼を拒否した主な理由は、結婚に対する恐れという漠然としたもの。それじゃあまりにも薫がかわいそうだ。


 それでもやっぱり、女性からすれば変に生真面目で弱気な男よりは、ちょっと刹那的でもいいから情熱的・行動的な男のほうがカッコいいんでしょうか。ただ、これは俵さんも指摘していることだが、恋の成功率が高いのはたしかに匂宮タイプのほうだと思う。それは分かるんですけどね……


 まあ、そういう意見の食い違いも含めて、面白い本です。


    ☆


 なお、この本は『源氏物語』を少なくとも一度通読している人、または大体のあらすじを知っている人向けに書かれています。全然知らない人が読むと、ちょっと分かりづらい書き方になっているかも知れません。今日の僕の記事自体がそうなっている気もしないでもないですが。すみません、ちょっと熱くなりすぎましたね。長いし。