- パリ管弦楽団, ラヴェル, ミュンシュ(シャルル)
- ボレロ(ラヴェル管弦楽曲集)
確か村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』だったと思うのだが、ビアホールのトイレでラヴェルの「ボレロ」が流れていて、主人公がその曲を聴きながら長い小便をするというシーンがあった。その曲を聞きながら小便をしていると、永遠に小便が止まらない気がする、といった科白があったと思う。
このシーンが妙に印象に残っているおかげで、僕は「ボレロ」を耳にするたびにこの話を思い出してしまう。
そして、それはそれとして、「ボレロ」が好きだ。
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「ボレロ」との出会いは十年以上昔、僕がまだ小学生だった頃に遡る。
僕のいた小学校では毎年1回、クラス別合唱+リコーダーコンクールというのが催されていた。確か、1,3,5年生はリコーダー合奏、2,4,6年生は合唱をするといった形式だったと思う。
「ボレロ」をソプラノ・リコーダーで合奏していたのは、僕の1学年上のあるクラスであったと記憶している。僕は客席(といっても体育館のパイプ椅子だが)で始めてその端正な音楽を耳にし、世の中にこんなカッコイイ音楽があるのかと思い、びっくりした。自分もあの舞台に立って「ボレロ」をリコーダーで吹きたいと思ったが、その夢は叶わなかった。
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今にして思えば、「ボレロ」をリコーダーのみでやるというのは恐ろしく無謀な試みである。ご存知の通り「ボレロ」というのは執拗に同じメロディを繰り返し続けるという曲であり、メイン・メロディを異なった管楽器が順番に取ることによって生まれる音色の変化が見所の音楽である。それをよりによって極めて音域の狭いソプラノ・リコーダーで再現しようというのは、全くもって無茶もいいところなのである。
その無謀な編成による失敗のせいだったのかどうかは知らないが、僕がモーリス・ラヴェルの音楽に本格的にのめりこむようになるためには、それから7、8年の歳月が必要だった。
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「ボレロ」の音源は4種類持っているが、中でも一番好きなのはシャルル・ミンシュが1968年に録音したものだ。
冒頭のテンポは重く、ラヴェル的な物憂い雰囲気を醸し出す。遅いテンポに合わせようとするスネア奏者の苦しみが伝わって来るような、ちょっと神経質なスピードだ。
しかし、ゆったりとした長いクレッシェンドと共に演奏は徐々にヒートアップし、猛烈な盛り上がりを見せる。終盤はこれまでのストレスを発散するかのごとく打楽器が半ば暴走気味にテンションを高め、ライブさながらの熱演を聴かせてくれる。古き良きフランスのオケの華麗な音色、とりわけ個性的でむせかえるような芳香を放つ管楽器の響きがたまらない。
フランスの音楽というととかく「洗練された」「オシャレな」イメージがつきまとうものだが、僕の考えるところ、フランス人の感覚には常にどこかレトロでソフィスティケイトされきっていない、荒っぽい部分が残っているような気がする。絵画で喩えるなら、遠くから見ると軽やかで研ぎ澄まされた色彩なのに、近くで見ると絵筆の跡がちょっと無造作な感じに残っていて、それがまたかえって粋な美を醸し出しているようなイメージだろうか。ミンシュの指揮は、そういう部分がよく出せていると思う。
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そういえば、プロの管楽器奏者が一番演奏するのを嫌がる曲の一つがこの「ボレロ」だという話を聞いたことがある。一聴すれば分かる通り、「ボレロ」で出てくるおびただしいソロは音量指定以外どれも同じで、小学生がリコーダーで吹けるぐらい簡単なメロディに過ぎない。では何故この簡単なソロを吹くことがプロにとって苦痛になるのか?
答えは単純だ。そのソロが余りにも有名で、余りにも目立ち、そして余りにも簡単だからである。どれだけ音楽の分からない素人が聴いたって、「ボレロ」のメロディを一音でも吹き損ねれば一発で分かってしまう。事実、現代最高の指揮者の一人であるマゼールがウィーン・フィルを率いてスペインで「ボレロ」を演奏したとき、管楽器奏者がちょっとしたミスタッチをやらかしたことで大ブーイングを浴びたというエピソードが残っている。
確かに言われて見れば、「できて当たり前」と誰もに思い込まれることほどプロにとってプレッシャーになるものはないですよね。逆に「スカルボ」みたいな超絶技巧曲を弾く場合なら、ちょっとぐらい変な音を鳴らしても目立たないし、ミスに気づいた聴衆も大目に見てくれるものだ。
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音楽の世界は奥が深い。
そして、それはそれとして、トイレで「ボレロ」が聴けるビアホールに一度行ってみたい気もする。