「スナフキンに似てる」
学生の頃、女の子にそう言われたことがある。スナフキンというのは「ムーミン」に出てくる登場人物のひとりで、音楽と孤独を愛する吟遊詩人だ。僕は「ムーミン」シリーズをあまりきちんと読んだことがないので詳しくは知らないが、ニヒルな生活態度を貫き、ときおり穏やかな口調で哲学的な科白を何気なく言ったりする、すごくカッコイイ男だったことは覚えている。今でもけっこうファンは多いようだ。
そういうわけで、単細胞な僕はそのスナフキンに自分が似ていると言われたことを喜び、きっとその子は僕にある種の好意を抱いているのだろうと期待したのだ。しかし、その後彼女は別段そういうそぶりを見せることはなく、もちろん興味深い関係が生じることもなかった。なんだ、あれは社交辞令だったのかなあ、などと僕はぼんやり思っていたのだった。
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しかし、最近姫野カオルコの『ブスのくせに!』というエッセイを読んでいて気づかされた。スナフキンというのは確かに非常に魅力的な人物ではあるけれど、恋愛の対象とするにはいささか植物的に清浄過ぎて、色気の乏しい男なんである。スナフキンに喩えられた時点で、僕は恋人として対象外であることを宣告されていたわけだ。
まあ、スナフキンに似ていると言われたのはその一度きりなので、実際は余り似ていないのだと思う。当たり前と言えば当たり前だが、それはそれで残念な気がしないでもない。
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そういえば先日、「○○さんって、季節で言えば『秋』って感じですね」と別の女の子に言われた。僕自身、一番好きな季節は秋だし、秋ということばが喚起する美しいイメージも好きだから、やはり単細胞に喜んでいたのだ。しかし冷静に考えるならば、僕は数年の歳月を経て再び同じ轍を踏もうとしているのかも知れない。