うどん食らいという言葉がある。
うどんを食べる人のことではない。
「広辞苑」によると、次のようにある。
――仕事の下手なものをののしる語。
それ以上の説明が特にないので、どうして「うどん食らい」という言葉にそんな悪意がこめられることになったのか、知るべくもない。ネットで検索しても出て来ない。
語源がどのようなものであれ、うどんが好きな僕にとっては、なんだか侮辱された気分である。
そういえば、漱石の「我輩は猫である」の中にも、確かうどんという食べ物を小ばかにした表現があった。蕎麦よりもうどんが好きだという主人公の苦沙弥先生を、友人である美学者・迷亭が辛辣に茶化す。ちょっと抜粋してみる。
「僕は饂飩が好きだ」
「饂飩は馬子が食うもんだ。蕎麦の味を解しない人ほど気の毒な事はない」
一刀両断である。馬子が食うもんだ、と来たもんだ。馬子というのがどれほどの地位なのか現代の僕らには今ひとつわからないけれど、かなり見下されているのは間違いない。明治の江戸っ子の中ではうどんよりも蕎麦のほうがもてはやされていたんだろうか。そういうこともあるかも知れない。
でも、少なくとも今僕が住んでいる大阪では、大体において蕎麦よりはうどんの方が人気があるような気がする。「馬子が食うもんだ」なんて下手に言ったら「なんやと、こらァッ! もういっぺんいうてみい!」といった修羅場が持ち上がりかねない。
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しかし、せっかく先人が作り出した貴重な言葉なのだから、有効に活用してあげたいものだ。とはいえあまり世人に浸透しているとはいえないこの言葉、せっかく使っても意味が伝わらない可能性がとても高い。どうしたものか。
いや、逆に、意味が通じないことを逆手にとって使うというのはどうだろう。
嫌味ばかり言ううっとうしい上司に小声で、「うどん食らいめ!」と囁いてみる。たとえ聞こえても意味が通じないから、正面切って悪口が言える寸法だ。もしも
「ん? 何か言ったか?」と聞き返されたときには、
「いえ、つい、おなかが減っていたものですから、『うどん食いたい』と口走ってしまったのです」と落ち着いて説明すればよい。
「そうか。それは仕方がないな」
ほら、丸く収まるでしょう。
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ちなみに僕はうどんが好きだが蕎麦の方がもっと好きだ(今までの憤りはなんだったのか)。
ただし、香川県のうどんはこの限りではない。
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これ、「トリビアの泉」で使ってもらえないですかね? 70へぇぐらい行く気がするんですが…