自分で言うのもおかしいが、僕は割りに謝るのがうまい。
小学生の頃、作文の中で、
「僕は争いごとがきらいです。だからけんかになりそうになったら先にあやまってしまいます」
と誇らしげに書いて、先生に呆れられたことがあるくらいである。われながらなんとも情けない子どもだ。尤も、今でも概ねその傾向に変わりはない。何かとすぐ謝ってしまい、しかし、あとで「あのときこう言いかえしとけばよかった」などと後悔する。大人になるということは、余分なプライドを身にまとうことでもあるのだ。
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かつて、主に謝ることを仕事にしていたことがある。
ある機械メーカーのトラブル対応係りみたいなものだ。「TRF」とか「ACCESS」の人たちみたいに(古いですね、はい)マイクつきのヘッドホンをつけて、お客さんからの電話を取る。当然、かかってくる電話は苦情ばかりである。その時期に出会ったクレーマーの数は、おそらく僕の一生分のそれに限りなく近いことと思う。
もちろん、電話をかけてくる人の中には低姿勢な人もいる。まるで機械が壊れたのは自分のせいであるかのように、しょんぼりとしているのだ。こういう人に出会うと、対応する僕と相手とでひたすら「すみません」「いえいえこちらこそ申し訳ございません」「お忙しいところお時間をとらせて」「何をおっしゃいますやら、弊社の製品さえ云々」というわけでいつまでたってもお互い謝り続けることになる。
しかし、大半の人は怒っている。僕らは怒っているお客さんのことを隠語で「ファイアー」と呼んでいた。まさに彼らは怒りに燃え盛っていた。僕らは火事場に飛び込む消防士さながら、お客さんについた火を消すために死闘をくりひろげた。
お客さんの怒りはいろんなかたちをしている。会話のはじめから怒り狂っている人。徐々に燃え上がってくる人。そして、「バックドラフト」のごとく突如燃え上がり、炸裂する人。これはとても心臓に悪い。耳にも悪い。
このように怒り狂える人々を前に、僕らはどう対処すればよいか。理路整然と事情を説明するか。明るく笑いに紛らわすか。さめざめと泣いて許してもらうか。逆ギレしてひるますか。
対策は文字通り十人十色であった。全てのクレームを超然と事務的にさばいていく人もいれば、「いやあこの業界、とんでもないスよねえ、正直ぼくもそう思いますよホント」てな軽いノリで切り抜けていく人もいる。しかしこうした方法は、時に火に油を注ぐ結果を生む。こちらの発言によって燃え上がった炎を消すのはより困難である。こうなると話は堂々巡りとなり、いつまでたっても戦火は収まらない。
僕が直属の上司から教わった秘策はこういうものだった。
1.クレーマーの怒りにはリズムがあるということを心得よ。たとえば60分間のクレームの中で、相手が本気で怒っている時間は10分程度しかない。
2.クレーマーの話を遮ってはならない。言いたいことを言い終わると、怒りは鎮まる。そこを叩け(謝れ)。
3.苦情電話を早く終わらせようと思うな。寧ろ「時間などどうでもよい」の精神で臨め。そうすれば却って相手は拍子抜けして早く引き下がってくれるものだ。早く終わらせようという思いが、かえって相手の逆鱗に触れる。
うーん、今見てもなかなか尤もな意見ですね。彼女や奥さんとけんかしたときは是非思い出してください。
それから僕が得意とした奥の手が、「しどろもどろになる」というものだった。
最初は弁舌爽やかに応対していたのに、相手が怒り始めるにつれ、舌がもつれ、弁明が支離滅裂になってくる。しまいに「もうしわけございません」さえもうまく言えなくなる。泣きそうな声も出す。
これは効く。段々相手もこちらが気の毒になって、「まあ、あなたを責めているわけじゃないんですが……」という雰囲気になって来る。こうなれば勝ったも同然である。
しかしこの伝家の宝刀には一つだけ欠陥があった。恐ろしく疲れるのである。消耗するのである。それは僕が演技ではなくて、本気で狼狽しており、泣きそうになっていたからだ。僕はいわば自分の魂をいちいち切り売りしては、1日数十回訪れるありふれたピンチを乗り切っていたわけだ。
このアルバイトはしばらくして辞めた。辞めるときもよく謝った。やっぱりとても疲れた。
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自分で言うのもおかしいが、僕は謝るのが割りにうまい。漫画「こち亀」の中で「プロの謝り専門家」みたいなのが出ていたが、その世界なら僕はけっこういいポジションまで行けると思う。でも、余命を縮めてまで謝りつづけたいとはとても思えない。
人は普通に生きていても、たくさん謝るべきことがあるのだ。それで十分ではないか?
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自分で言うのもおかしいが、僕は謝るのが割りにうまい。けれど、最近はほんとうに謝りたいときに謝れないことがある。無駄に謝った後の後悔とは比較にならぬほど、謝れなかった後の後悔は苦い。
今でも何人かの人に謝りたいことがある。メールでも電話でも、なんでもいい。「あの時は悪かった」と一言いえばそれで済む。でも残念ながら、それはもう済んでしまったことだ。謝ることが却って失礼になることだってある。それを思うと、僕は少しだけ、寂しい気持ちになる。その気持ちが、テレパシーみたいに相手に伝わればいいのに、などと虫のいいことを考えたりする。