ときどき、本当にどうでもよいことが気になって仕方なくなることがある。


 先日、友だち数人で「なか卯」に行ったときのことだ。僕はいつものように牛丼の大盛りを注文した。僕は痩せているくせに何かと大盛りが好きなのだ。


 一人の女の子が、「おろしすだちうどん」なるものを注文した。これは、冷たいうどんの上に大根おろしと醤油をかけ、自らすだちを絞って食べるというもので、僕も食べたことがある。僕はすだちがとても好きなのだ。ときどきすだちとカボスの区別がつかないなどと言う輩があるが、断然すだちの方が香がよい。


 僕はボリュームのある注文ばかりするくせに食べるのが女の子並みに遅いから、いつも食べ終わるのは最後だ。僕はこの日も最後まで食っていた。気が弱いからこれぐらいでも相当のプレッシャーである。


 そのとき、「おろしすだちうどん」を食べ終わった女の子が、椅子から立ち上がりながらこう言った。


「トイレ行ってきます。……手がすだちくさいし」


「あ、うん」


 何気なく返事をしてから、一瞬、箸が止まる。


 すだちって、「くさい」のか?


    *


 そういえば小学生の頃、給食の時間が近付くと教室に食べ物の匂いが流れてきたものだ。そしてその匂いがカレーのそれであった場合、必ず誰かが


「カレーくさっ!」


 など言って喜んでいた気がする。


 カレーだって臭くはない。チーズや納豆、あるいは漬物を臭いからと言って敬遠する人は珍しくないが、カレーが臭いから食べられないなどという話はあまり耳にしない。


 もちろん、ここで児童が使っている「カレーくさい」という言葉は、カレーの匂いをマイナスに捉えているのではない。単に、カレーの匂いが強く漂っている状態を表しているのであって、実際には「くさい」と思っているわけではないのだ。


 「おろしすだちうどん」を注文した女の子とて、すだちが臭いとはきっと思ってはいない。すだちの匂いが強く染み付いている状態を指して「くさい」と言い表したまでのことであろう。


 とすれば、「○○くさい」というのは単に「強い香がする」状態を指すのであろうか。


    *


 しかし考えてみてほしい。


 「バラにむせ返る部屋」というフレーズがユニコーンの歌の中にあったが、これが「バラくさい部屋」であったらどうだろう? 風情がない、というのももちろんだが、普通我々は「バラくさい」とは言わない。言葉の配列に違和感を覚えざるを得ない。


 あるいはそろそろシーズンになるが、香のよい花の代表格、金木犀。


 「ああ、おたくのお庭、金木犀くさくて素敵ね~」


 なんて、誰が言うだろうか。言われた方は100%馬鹿にされたと思って憤るであろうし、やはりそれ以前に、「金木犀くさい」という言い回し自体が不自然で仕方ない。


 どうやら、花に「くさい」という言葉をくっつけるのはNGであるらしい。


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 まあ、変な理屈をこねてみたものの、結論は実ははじめから見えている。そろそろ僕らは着陸しなければならない。


 食べ物の匂いは通常臭くはない。寧ろそれは僕らの食欲を増進させる快いものだ。


 「すだちくさい」と言った女の子だって、食事中にこの表現を使うことはないだろう。「ああ、このうどん、すだちくさくておいしいわ」って、何かおかしい。もはや軽いギャグである。同様にカレーを「ああ、このカレー、カレーくさくてイカスぜ!」と言いながらカレーを食べる人もいまい。


 どうあがいても、「くさい」というのは一種のマイナスのイメージをもたらす言葉なのだ。食事中に使うのは相応しくない。


 ところが、食事が終わった途端、指についたすだちの香は、「すだちくさい」と表現されてしまう。あるいは食事前に教室に漂ってくるカレーの香が「カレーくさい」と言われる。これは一体どうしたことか?


 ……僕らは四六時中食欲に導かれて生きているわけではない。どちらかといえば食欲を忘れている時間帯の方が長いだろう。勉強したり、遊んだり、仕事をしている間じゅう、ずっと食べ物のことが頭から離れないというのは、ダイエット中の人ぐらいではないか?


 そして、このような「食欲とは無縁な時間帯」にあっては、食べ物の匂いは場違いなのである。場違いだから、「くさい」と言われるのである。


 たとえば食事をしながら仕事をするのが非常識かつ下品であるのと同一線上に、匂いもまた排除されなければならないわけである。ちなみに僕は前の会社で残業をしたときはよくカップめんを食べながら仕事をしていた。けれど、定時内にそれをしたら皆に後ろ指を指されるどころか、クビになりかねない。


 そういえば、昼休みに会社でカップ焼きそばを食べるとみんなに「焼きそばくさい」「ソース臭い」と言われたものだ。たとえ食事時間であっても、オフィスという場に相応しくない匂いであると無意識に判断された結果がそれなのだろう。これが焼きそば屋なら、「ソース臭い店だね、ここ」なんてことは悪意がなければ誰も言わない。


 僕らが食べ物のにおいを状況に応じて「くさい」と呼ぶのは、社会的・理性的な動物=人間として、食欲という直接的な本能をコントロールするための無意識の手段だったのではないか。むき出しの欲望を理性のカーテンで押し包む、ささやかな抵抗の一つだったのではないか。


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 ときどき、本当にどうでもよいことが気になって仕方なくなることがある。……悪い癖だと思う。反省。