オーソン・ウエルズ監督の「市民ケーン」(1941年)をみる。三度目の鑑賞。
 これはのっけから怪奇映画の様相である。ザナドゥという古城の遠景、主人公ケーンの謎の言葉「バラのつぼみ」というダイイング・メッセージで始まり、終わる。

 物語はケーンの最後の言葉「バラのつぼみ」という言葉の意味を探す旅、記者トンプソンと一緒に観客は旅に出る。当初「アメリカン」という原題も考えていたそうで、まさに一アメリカ市民のおはなし。

 莫大な財産を譲り受けたケーン少年は成長して新聞社を買い取り「新聞王」になる、また州知事候補として政治の世界にも首を突っ込む。すべては善良なる市民のために・・正義のために。その評価は、時に独裁者と罵られ、時にはコミュニストといわれる。まったくの謎だ。しかし、歌手のスーザンと知り合ったがために対立候補から不倫をすっぱ抜かれ失墜する。前妻と別れ、スーザンと再婚し、彼女のために「オペラハウス」まで建設し、愛を尽す。だが、スーザンの歌は見るも無残、スーザンも自分の実力を知り、降りたいという。それでもケーンはスーザンに歌い続けろと命令する。「あなたは、いつも自分を愛するように相手に求める。独りよがりの愛。私が本当にほしかったものをあなたは何もくれなかった」と言う言葉を残してスーザンは去る。同じようにスーザンの舞台を酷評した親友も去っていく。たった一人になったケーンの最後の言葉「バラのつぼみ」は一体なんだったのか・・?

 ラストシーンで莫大な財産処分のため、彼が残した蒐集品が古城にうずたかく積み上げられる。(インディ・ジョーンズのラストシーンはこのパクリか?(笑))処分するためケーンが少年時代に遊んだ「雪そり」がガラクタとして暖炉に放り込まれる。燃え上がる「そり」、その板の表面に書かれていた絵と文字「rose bud」。燃え上がる・・うー、感動する。

 「バラのつぼみ」とは、人生という名のパズルのワン・ピース(一片)であった。「人の一生」、これだけは「ひとこと」で語りつくせないもの。  
 オーソン・ウエルズ監督、うますぎる。