思い出書店 | moaiのブログ

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絵だとか、日々の出来事だとか。

幼い頃から本の虫で、しかもアスペ気味だったmoai氏。

小学時代、母方の実家に行った時に、玄関先で小さい子から「ねえ遊んで」と言われた。

いきなり知らない子から声をかけられても、どう接して良いのかわからない。

「えーと・・・じゃあ、本を読んであげようか、君んち本がある?」

「うん、あるよ」

「じゃあ持って来て」「わかった〜」

子供は走って行ったが、そのあとすぐに母親らしき人も一緒にやってきた。

「ちょっと、あんたウチの息子になんて事をさせるのよ!」

え、え、えええええ〜〜??

これが〇〇書店との最初の出会いだった。

 

やがて、やや成長した本の虫は〇〇書店に入り浸るようになった。

気のいい店主は飄々とした雰囲気を漂わせ、最初の出会いには驚かされた奥さんは

moai君が行くと「どう?紅茶飲んでいく?」と誘ってくれて、ますます〇〇書店は

居心地のいい場所になったのだが・・・。

小学校5年か6年の頃、〇〇書店の本棚を見上げてどの本を買おうか考えていたmoai君は

いきなり左足のふくらはぎに鋭い痛みを感じた。

「痛!」と振り返ると、真っ白いスピッツが咬みついていたのだった。

綱を持っていた中年男は「こら!」とスピッツを引き離したが、こちらへの謝罪はなし。

これが今日に至るまで都合4回にわたる「犬に咬まれ被害」の最初だった。

 

moai君の家には戦前からの書籍や雑誌が数多くあった。

その中でも、当時しては珍しいアート紙印刷の航空雑誌数冊に心奪われたmoai君、

〇〇書店に並べられている航空雑誌を立ち読みするのが好きになった。

それが今でも刊行され続けている「航空ファン」なのだが、ついに立ち読みだけでは

物足りなくなって戦時中、茨城にあった陸軍航空隊の「下館基地」に配属されていた

父親に必死に頼み込んで毎月の購読を許してもらった。

これが月刊雑誌定期購読の始まりだった。

 

その後〇〇書店での定期購読は数を増やし「子供の科学」が加わり、中学では「航空情報」

高校の頃には「SFマガジン」「エラリークイーンズミステリマガジン」も追加され、

今も継続中の「芸術新潮」まで・・・あの当時、バイトをするでもなかったmoai君の

本を買うお金はどうなっていたのか、今となっては親に訊ねる術もない。

 

〇〇書店には例の幼かった息子と、その下に妹がいて、これが某市立高校時代に漫画研究会

を立ち上げ、少女誌の漫画賞に応募して入選するなどそれなりの成果を見た。

それに勢いづいて自作原稿を出版社に持ち込むようになったり、本格的に漫画の道を進む

決心を固めたようである事を、親である店主がやれやれと言った表情で教えてくれた。

ある時、持ち込んだ漫画原稿を見せてくれた時に背景の木の描き方が気になったので、

大学漫研出身者としてその点を指摘した。

すると「えー、編集者にも同じ事を指摘されたわ!」

有名漫画家になった彼女の成功の一助を担う結果になったのでは?とmoai氏の自慢のひとつ。

 

その後、某スーパーの出店計画に抗う地元商店街が猛烈な反対運動を繰り広げ、

数年に及ぶ反対運動が身を結んでスーパー出店予定地には大きなマンションが建った。

反対対策本部員同士として〇〇書店店主との絆は深まり、書店におしゃべりしに行ったり

週に数度は麻雀卓を囲む年の離れた友人ともなった。

 

・・・・・・いかん。

〇〇書店に関わるエピソードを書いて行くと徹夜でも書き切れない。

 

そんな店主の告別式が今日の午前中にあった。。。

 

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「いい表情してるな〜」受付にあった写真を撮らせてもらったが

 

悲しくて、寂しくて。。。。

 

 

そして、今日は亡父の祥月命日だった。