2月23日。
今日は私がブログそのものを初めて4年となる日だ。
今までと違ってその実感がわかないのは、その時のような心境にないからだろうか…
昨年度は、ここの依存を身をもって痛感された年でもあった。
学校を卒業した時に痛感した事、番組のコラムで実感した事…
それらに限らず、様々な事を通して私は色んな事を痛感する事となった。
その時実感した事は、結局私は周りが見えてなかったという事だった…
昨年度も2011年の爪痕のような経験もしたが、今はそれなりに収束している。
むしろ、今回の経験を通してようやく周りが見えるようになったと言っていいかもしれない。
今のブログタイトルは、私自身の再生を象徴したものである。
初音ミクの消失から激唱がそれを象徴しているように、私自身もそうだからだ。
私自身も消失のような経験をした後、激唱のごとく再生の道を歩む事ができたのである。
その年、私はメロエッタさんと出会い、その魅力を知って現在に至る。
メロエッタさんの存在も私自身にとって最高の支えになったのである。
例え出番がなくなっても世代が変わってもメロエッタさんの事はこれからも大事にしていくよ。
例え当時とは違うような規模の交流になろうとも、私はここの存在を続ける。
それこそが崩壊したここでの日々を取り戻す1番のやり方なのだから…
今までのような事にはなれなくても、ここでの行いにはまだできる事がある。
私にだってまだこれからがある。
ようやく周りが見えるようになれたならそれを機に私がすべき事を積極的にすればいい。
その時のようにはなれなくても私にはこれからがある。
今の私が築ける事をこれからをただただポジティブに築き上げていこう。
今日は私がブログそのものを初めて4年となる日だ。
今までと違ってその実感がわかないのは、その時のような心境にないからだろうか…
昨年度は、ここの依存を身をもって痛感された年でもあった。
学校を卒業した時に痛感した事、番組のコラムで実感した事…
それらに限らず、様々な事を通して私は色んな事を痛感する事となった。
その時実感した事は、結局私は周りが見えてなかったという事だった…
昨年度も2011年の爪痕のような経験もしたが、今はそれなりに収束している。
むしろ、今回の経験を通してようやく周りが見えるようになったと言っていいかもしれない。
今のブログタイトルは、私自身の再生を象徴したものである。
初音ミクの消失から激唱がそれを象徴しているように、私自身もそうだからだ。
私自身も消失のような経験をした後、激唱のごとく再生の道を歩む事ができたのである。
その年、私はメロエッタさんと出会い、その魅力を知って現在に至る。
メロエッタさんの存在も私自身にとって最高の支えになったのである。
例え出番がなくなっても世代が変わってもメロエッタさんの事はこれからも大事にしていくよ。
例え当時とは違うような規模の交流になろうとも、私はここの存在を続ける。
それこそが崩壊したここでの日々を取り戻す1番のやり方なのだから…
今までのような事にはなれなくても、ここでの行いにはまだできる事がある。
私にだってまだこれからがある。
ようやく周りが見えるようになれたならそれを機に私がすべき事を積極的にすればいい。
その時のようにはなれなくても私にはこれからがある。
今の私が築ける事をこれからをただただポジティブに築き上げていこう。