私がブックオフで出会った書籍…それは…

私の崇拝する小説家『村山由佳』さんの処女作、『いのちのうた』だった。
この童話は、20ページのかなり短めな話だが、その数字だけの少なさを逸脱するとても奥深く切なくも美しい話である。
舞台は、海。
そこに冬に合わせた回遊に乗り遅れたクジラの親子がいた。
このクジラは、ザトウクジラで、シャチ、イルカと並んで私が好きなクジラでもある。
そのきっかけを与えたのもこの書籍だった。
クジラの親子は、仲間達のいる南極海を目指して旅を始めた。
この時期、クジラ達は餌を求めて南の海を目指す。
それまでは、北と南の真ん中辺りの海で出産や子育てをするのだ。
この親子もその一人と言えよう。
ミラの星の輝く鯨座のもと、お母さんクジラや祈りを捧げ、坊やと共に長い旅へと向かった。
ザトウクジラは、『歌を歌うクジラ』としても有名である。
その理由は、求愛や仲間との交信のためなど様々な説があるそうだ。
ちなみに、それがCDになってるのもあるとの事。
ザトウクジラには、他のクジラにはない特有の特徴があるというわけだ。
旅を通してお母さんクジラは、坊やに歌を教えていた。
歌を歌えるようになれば仲間とも交信ができ、今みたいに取り残されても大丈夫だからだ。
しかし、坊やは『ぼくには、お母さんがいるからいいもん』と甘えて歌を覚えようとしなかった。
坊やは、まだ授乳期に相当する赤ちゃんクジラだったためにそう思うのも無理はないかもしれない。
それでもお母さんクジラは、諦めず坊やに歌を教え続けた。
旅のさなか、お母さんクジラは何か異常な事に気付き始めた。
水の味が塩のようなしょっぱさから苦いような変な味に変わり、空気も今まで吸っていたのとは違う不快感を覚える。
私達人間の住む場所が近くにあるのだとお母さんクジラは悟ったのだった。
進むにつれて、目の前には今までにない悍ましい光景が広がっていった。
形が尋常じゃないほど崩れている魚や透明感のない濁った水、空に広がる雨雲とは思えない真っ黒な煤けた雲…
一体どうやったらこんなに海が汚れるのだろう…
お母さんクジラは、ここに来て初めて人間を憎らしいと思った。
視界が近くまで来なければはっきりしない中、お母さんクジラは一瞬表情を凍らせた。
その先には、クジラの天敵のシャチがいたのだ。
ところが、そのシャチは襲ってこなかった。
シャチは、弱った魚のように腹を上にして浮かんでいた。
ここから先は、私達人間が垂れ流した有毒な液体が広がっていた。
その近くの陸には、黒い煙を吐き散らす工場のような建物が並んでいた。
ここから先を進まなければ、前に進めない。
しかし、海面には有毒な液体が浮かんでいる…
お母さんクジラは、意を決して坊やに今のうちにお乳を飲んでおきなさいと言った。
理由は、これから一時も休まずに泳ぐからと坊やに話していたが、本当の理由はそうではなかった。
『海に毒があるのにどうやって行くの?』と坊やが言うと、『私の後に着いてくれば毒に触れずに済む』とお母さんクジラは言った。
『坊やにできる?』とお母さんクジラは言うと、坊やは胸を張って言った。
『できるさ。ぼくもう子供じゃないもの』
甘えん坊の坊やから発せられた勇気ある一言。
その一言に安心したお母さんクジラは、意を決して一世一代の使命を始めた。
出来る限り深く潜りながら親子は前へと進んだ。
坊やが息苦しくなったのを察知したら、お母さんクジラは海を突き破るように浮上した。
坊やも言われた通りそれに続いていく。
そして…
お母さんクジラは、口を大きく開き、海面を漂う毒物をオキアミを食べるように飲み込んだ。
毒物のなくなった海面に坊やが顔を出して息継ぎをした。
再び潜り坊やが息苦しくなったら、再び浮上して毒物を飲み坊やの安全地帯を確保。
坊やがその安全地帯で息継ぎをしたら、再び中へ…
という状態がしばらく続いた。
坊やはそうとは知らず、お母さんクジラが毒物のない場所をうまく見つけて浮上してるのだろうと思っていた。
お母さんクジラは、力の続く限り大きな声で歌を歌った。
旅の途中、お母さんクジラは病気になっており、坊やもその事にひそかに気付いていた。
そのため、坊やは病気が治って元気になったのだろうと思い、嬉しくなってようやく歌を覚え始めた。
その状態がしばらくの間続いた。
しばらくして、いつの間にか親子は南の海にたどり着いていた。
先ほどの海と違い、水はとても透き通るほど綺麗で、空気も深く吸いたくなるほどの綺麗さだ。
坊やの見た先には、クジラの大好物のプランクトン、オキアミがたくさんいた。
『おあがり坊や。もうお母さんのお乳はおしまい…』
そう後ろから聞こえてきた声に反応して、坊やは振り返ると、そこには腹を上に向けて浮かんでいるお母さんクジラの姿があった…
この話は、クジラの親子の旅を通して『命とは何か』、『私達人間は何をすべきか』という様々な問いが込められている。
読書に関心の少なかった私にあらためて関心を持たせてくれたものこの書籍だった。
また、私はこの話をきっかけに高校時代から執筆をするようにもなった。
ポケモン関係しか執筆していなかった私に、そうではないジャンルの小説を執筆させるきっかけにもなったのだ。
現在、その小説は5章まで進んでいる。
今回の入手を機に、あらためて執筆を再開出来るようになるかもしれない。
私がこの書籍を見かけたのは、故郷の図書館だった。
それ以来、私はこの書籍のため、もしくは執筆のために通うようにもなった。
今現在、この書籍は窓口に言わなければ手にとる事もできない状態になっている。
借りるわけでもないのに窓口に言うというのは、私にはできなかった。
それきり、この書籍とはずっと疎遠になっていた。
進学したら早速この書籍を買おうと思っていたが、この書籍は非売品だった。
図書館のような公の場所でしか見かけないというイメージがあるだけに、この書籍での『いのちのうた』を手に入れるのは絶望的だとずっと思っていた。
それから、約6年…
過去に望んでいた事は、それを忘れた頃にやってくるものだというのを象徴するように私は、この書籍と巡り会った。
この非売品を一体誰が出してくれたのだろう。
青のフェルマータと同じく、その人にはこの上なくただ感謝したい。
こんな素敵な書籍を非売品にするのはもったいないと思う。
『いのちのうた』は、別の形で一般発売されてるが、この形での一般発売もあらためてしてほしい…
私がこの話をきっかけに執筆している小説が広まれば出来るだろうか…
だからこそそのためにはまず私が立派にならなければならない、というわけだろうか…
間違いなくそうであろう。
今回の巡り会いを機にこれから少しずつ前に進めるようにしてみせる。
私も、あのお母さんクジラみたいに誰かのために自身を捧げて物事に貢献出来る存在になれるように…
そして将来、村山由佳さんに振り向いてもらえるように…
そのためにまずは、私自身が立派になる事。
まずは、そこからだ。

私の崇拝する小説家『村山由佳』さんの処女作、『いのちのうた』だった。
この童話は、20ページのかなり短めな話だが、その数字だけの少なさを逸脱するとても奥深く切なくも美しい話である。
舞台は、海。
そこに冬に合わせた回遊に乗り遅れたクジラの親子がいた。
このクジラは、ザトウクジラで、シャチ、イルカと並んで私が好きなクジラでもある。
そのきっかけを与えたのもこの書籍だった。
クジラの親子は、仲間達のいる南極海を目指して旅を始めた。
この時期、クジラ達は餌を求めて南の海を目指す。
それまでは、北と南の真ん中辺りの海で出産や子育てをするのだ。
この親子もその一人と言えよう。
ミラの星の輝く鯨座のもと、お母さんクジラや祈りを捧げ、坊やと共に長い旅へと向かった。
ザトウクジラは、『歌を歌うクジラ』としても有名である。
その理由は、求愛や仲間との交信のためなど様々な説があるそうだ。
ちなみに、それがCDになってるのもあるとの事。
ザトウクジラには、他のクジラにはない特有の特徴があるというわけだ。
旅を通してお母さんクジラは、坊やに歌を教えていた。
歌を歌えるようになれば仲間とも交信ができ、今みたいに取り残されても大丈夫だからだ。
しかし、坊やは『ぼくには、お母さんがいるからいいもん』と甘えて歌を覚えようとしなかった。
坊やは、まだ授乳期に相当する赤ちゃんクジラだったためにそう思うのも無理はないかもしれない。
それでもお母さんクジラは、諦めず坊やに歌を教え続けた。
旅のさなか、お母さんクジラは何か異常な事に気付き始めた。
水の味が塩のようなしょっぱさから苦いような変な味に変わり、空気も今まで吸っていたのとは違う不快感を覚える。
私達人間の住む場所が近くにあるのだとお母さんクジラは悟ったのだった。
進むにつれて、目の前には今までにない悍ましい光景が広がっていった。
形が尋常じゃないほど崩れている魚や透明感のない濁った水、空に広がる雨雲とは思えない真っ黒な煤けた雲…
一体どうやったらこんなに海が汚れるのだろう…
お母さんクジラは、ここに来て初めて人間を憎らしいと思った。
視界が近くまで来なければはっきりしない中、お母さんクジラは一瞬表情を凍らせた。
その先には、クジラの天敵のシャチがいたのだ。
ところが、そのシャチは襲ってこなかった。
シャチは、弱った魚のように腹を上にして浮かんでいた。
ここから先は、私達人間が垂れ流した有毒な液体が広がっていた。
その近くの陸には、黒い煙を吐き散らす工場のような建物が並んでいた。
ここから先を進まなければ、前に進めない。
しかし、海面には有毒な液体が浮かんでいる…
お母さんクジラは、意を決して坊やに今のうちにお乳を飲んでおきなさいと言った。
理由は、これから一時も休まずに泳ぐからと坊やに話していたが、本当の理由はそうではなかった。
『海に毒があるのにどうやって行くの?』と坊やが言うと、『私の後に着いてくれば毒に触れずに済む』とお母さんクジラは言った。
『坊やにできる?』とお母さんクジラは言うと、坊やは胸を張って言った。
『できるさ。ぼくもう子供じゃないもの』
甘えん坊の坊やから発せられた勇気ある一言。
その一言に安心したお母さんクジラは、意を決して一世一代の使命を始めた。
出来る限り深く潜りながら親子は前へと進んだ。
坊やが息苦しくなったのを察知したら、お母さんクジラは海を突き破るように浮上した。
坊やも言われた通りそれに続いていく。
そして…
お母さんクジラは、口を大きく開き、海面を漂う毒物をオキアミを食べるように飲み込んだ。
毒物のなくなった海面に坊やが顔を出して息継ぎをした。
再び潜り坊やが息苦しくなったら、再び浮上して毒物を飲み坊やの安全地帯を確保。
坊やがその安全地帯で息継ぎをしたら、再び中へ…
という状態がしばらく続いた。
坊やはそうとは知らず、お母さんクジラが毒物のない場所をうまく見つけて浮上してるのだろうと思っていた。
お母さんクジラは、力の続く限り大きな声で歌を歌った。
旅の途中、お母さんクジラは病気になっており、坊やもその事にひそかに気付いていた。
そのため、坊やは病気が治って元気になったのだろうと思い、嬉しくなってようやく歌を覚え始めた。
その状態がしばらくの間続いた。
しばらくして、いつの間にか親子は南の海にたどり着いていた。
先ほどの海と違い、水はとても透き通るほど綺麗で、空気も深く吸いたくなるほどの綺麗さだ。
坊やの見た先には、クジラの大好物のプランクトン、オキアミがたくさんいた。
『おあがり坊や。もうお母さんのお乳はおしまい…』
そう後ろから聞こえてきた声に反応して、坊やは振り返ると、そこには腹を上に向けて浮かんでいるお母さんクジラの姿があった…
この話は、クジラの親子の旅を通して『命とは何か』、『私達人間は何をすべきか』という様々な問いが込められている。
読書に関心の少なかった私にあらためて関心を持たせてくれたものこの書籍だった。
また、私はこの話をきっかけに高校時代から執筆をするようにもなった。
ポケモン関係しか執筆していなかった私に、そうではないジャンルの小説を執筆させるきっかけにもなったのだ。
現在、その小説は5章まで進んでいる。
今回の入手を機に、あらためて執筆を再開出来るようになるかもしれない。
私がこの書籍を見かけたのは、故郷の図書館だった。
それ以来、私はこの書籍のため、もしくは執筆のために通うようにもなった。
今現在、この書籍は窓口に言わなければ手にとる事もできない状態になっている。
借りるわけでもないのに窓口に言うというのは、私にはできなかった。
それきり、この書籍とはずっと疎遠になっていた。
進学したら早速この書籍を買おうと思っていたが、この書籍は非売品だった。
図書館のような公の場所でしか見かけないというイメージがあるだけに、この書籍での『いのちのうた』を手に入れるのは絶望的だとずっと思っていた。
それから、約6年…
過去に望んでいた事は、それを忘れた頃にやってくるものだというのを象徴するように私は、この書籍と巡り会った。
この非売品を一体誰が出してくれたのだろう。
青のフェルマータと同じく、その人にはこの上なくただ感謝したい。
こんな素敵な書籍を非売品にするのはもったいないと思う。
『いのちのうた』は、別の形で一般発売されてるが、この形での一般発売もあらためてしてほしい…
私がこの話をきっかけに執筆している小説が広まれば出来るだろうか…
だからこそそのためにはまず私が立派にならなければならない、というわけだろうか…
間違いなくそうであろう。
今回の巡り会いを機にこれから少しずつ前に進めるようにしてみせる。
私も、あのお母さんクジラみたいに誰かのために自身を捧げて物事に貢献出来る存在になれるように…
そして将来、村山由佳さんに振り向いてもらえるように…
そのためにまずは、私自身が立派になる事。
まずは、そこからだ。