3月11日。

生涯、いや後生忘れる事のない、いや忘れてはいけない日から今日で1年となった。

昨年のその日、私は故郷の実家にいた。

私だけは、平日の影響がなかったので、自宅の中で普通に一日を過ごしていた。

何事もないような日々が続いていただけに、このあと未曾有の出来事に合う事になるのを誰が想像しただろうか…

14時46分、一瞬強風による揺れかと思った初期微動からそれをすぐに違うと悟らせる主要動の強い揺れが室内を襲った。

今まで直に経験した地震とは比べものにならないほどの揺れは、避難訓練の事を忘れて脱出第一を優先させるほどのものだった。(まずは、机などの下に隠れるのが普通なだけに)

自宅を出た私は、ふと後ろを見ると、家がまるごと揺れているのに気付いた。

それなりに大きな地震は、遭遇した事はあったが、建物がまるごと揺れるほどの地震は見た事がなかった。

それなりに築歴はあったので、どこか崩れてしまうのではないかと心底気にかけていたのは今も鮮明に覚えている。

揺れが普通じゃないのは、外に出た後もわかった。

今立っている地面でさえも立っていられないほど揺れているのがそれを身をもって気付かせた。

Xタイムからしばらくしてもまだ余震はその時の余力を残しながら続いていた。






地震における脅威というのは、関東大震災や阪神大震災などを理由に強い揺れによる建物の倒壊だけだと小さい頃からずっと思っていた。

しかし、東日本大震災はそれだけでは終わらなかった。

しばらくしてテレビをつけると、震源地から近い場所では地震どころでは済まされてない状況になっていた。

一瞬、映画かと思ったが、すぐにそれが現実だと悟った。

映画だと思ったのは、その映された映像が信じたくもない映像だったからだ…



私の故郷もそうなるのではないかとしばらく気掛かりに思った。

私のいる場所だって海は近いし、揺れもすごかったんだもの…

注意報ではなく、警報と出されていたのがそれを上乗せした。

最終的に高波自体起きずに終われたが、素直に安心出来る心情ではなかった。









2012年3月11日14時46分。

時報と共にNHKの追悼番組を前に私は、犠牲者に黙祷した。

その慰霊式には天皇陛下ご夫妻と野田佳彦首相の姿もあった。

天皇様、ご静養の中ご参加いただきありがとうございました。

今後ともお体にはお気をつけてお過ごし下さい…

野田首相は、弔辞を読んだ。

当時の首相ではなく、日の明かりもなかった野田さん。

日本の首相として日の明かりをさす場所へ立った今、首相としての使命を成し遂げてほしい。

土壌宰相と名乗ったならば、今の苦境という泥に負けず本当に活躍する首相として偉業を成し遂げてほしい。

野田首相、頑張ってください!






あの日から1年。

私としては、『まだ1年』ではなく、『やっと1年』という感覚だ。

まるでつい最近かのようにその日の事を受けているからなのだろうか。

忘れ難いからこそ時の流れを長く感じるのかもしれない。

忘れてない事というのは、ついさっき起きたかのような出来事のように思うので、1年であってもほんのついさっきのように思うのかもしれない。

その分、過去の事と風化させてない受け止め方となっているのだろう…






未曾有の災害から1年。

日本はどこまで戻れただろう。

少なくとも、まだ十分どころか妥協もできない環境であるのは事実。

それを一日でも早く元の、そしてより良い形へと形成していく事が日本の使命だ。

様々な問題が飛び交っているのもあるが、少なくともまずは日本を、そして何より被災地の事を見てほしい。

日本をより良い形へと再生する事こそが今の使命であり、これからのための糧。

日本の再生をしてこそ色んな事を取り戻せる。

色んな問題ばかりをただ見てばかりいて、目の前のなすべき事を蔑ろにしていては本当の復興と再生を成し遂げる事などできはしない。

今こそ忘れていた事を取り戻す時。

それに気付き、それを形に出来る事が日本の復興と再生を成し遂げるための第一歩だ。






素晴らしき国、日本が一日も早く復興する日が訪れますように…