月曜日。

今週は帰省の日というわけだが、今回の帰省はどんな結果をもたらすのだろう。

どんな形になろうとも腹をくくる事は前提にしなくてはならないのは事実…

次に市川に戻る時、私はどんな心情になってるのだろう…



今日も朝方から体調が優れなかった。

近頃、立っているだけで気分がよくない日が続いている。

1番候補にあがるのが、肩の筋力の低下による撫で肩の悪化だ。

以前、病院で見てもらった時、肩の筋力が低下して下がりすぎた肩の骨が神経を圧迫していると言われたのだ。

もしくは、献血の影響もあるのかもしれない。

献血の後、私はひそかにご飯を抜いた日があったからだ。

献血の翌日、風邪気味だったのを理由に朝ごはんも昼ご飯も抜いて桜木町を旅したのが今頃になって響いたのかもしれない。

…できるなら、そうであってほしいものだ。






今日は日本法制史を受けた。

今回は『はんこ』についてをやった。

この年代になれば実印と呼ばれるはんこ。

昔は手形や血判の他にもはんこはちゃんと存在していたのだ。

はんこには、『陽刻』と『陰刻』の2種類がある。

陽刻というのは、字以外の部分を掘り、押したら字だけが朱色として表されるはんこの事を言い、陰刻はその逆である。

当時は文字が見えすぎないように陰刻が用いられていた。

陰刻のイメージとしたら、いも判というのがわかりやすいだろう。

文字だけを掘る形は、全体を掘るのがメンドーだからというイメージがあるが、あくまで趣旨は文字がはっきり見えやすいのを阻止するためだ。

はんこの他にも『書き判』というサインに相当するやり方もあった。

その書き方には、一族に共通した漢字を用いたり、名前の漢字の一部を合わせたものなどバリエーションは様々である。



はんこというのは、当時は役人が持つもので、一般人は持っていなかった。

そのため、『印綬を帯びる』というのは、『官に就く』事に相当する。

はんこがそのまま身分証明になったのだ。

金印による身分の象徴がその代表例だ。

また、当時は朱肉が少なかったので、身分が下の人は墨を使っており、朱肉は幕府が出す公文書だけに使われていた。

朱印状というのは、ここから由来している。



はんこには、こんな諺がある。

『印形は首とつりかえ』と言って、はんこはそれほど自身に大きな影響を及ぼしやすいものなのだ、という諺だ。

わかりやすい例でいうなら、連帯保証人などがあげられる。

ここでは、連帯保証人の契約書に対するはんこは、自らの首を捧げるようなものだから、絶対しないようにという戒めを意味する。

連帯保証人は、代理としてではなく、借りた本人として扱われるやり方なのでこの諺を1番強調する事と言っていいだろう。

親友の誼みでも、間違っても連帯保証人にだけはならないように。

例え絶交されようと、なった瞬間負の財産だけを残されて逃げられるだけなのだから、連帯保証人だけはきっぱり断るようにしよう。

はんこの重大さと影響の大きさは今も昔も健在というわけだ。





講義を終えた後、私はしばらく動けなかった。

撫で肩の悪化と貧血状態のたたりめはやはり意志に反する規模で堪えるようだ。

今回は献血を軽視しすぎたかなぁ…



いつもの時間になり、このままでいても始まらないと悟った私は体を引きずるように学校を後にした。

これがただの撫で肩と貧血によるものなら、出来る限り早くおさまってほしいものだ。

帰省の時までは、どれくらいおさまってるだろうか…

ちなみに今回の帰省は、水曜日である。



今はとにかく何か食べなくてはならない。