今頃夏が来たかのような暑さは今日も続く。

今日も私は密室に相当する自宅の中で過ごしていた。

使わない部屋でも窓を開けておかなきゃサウナ規模になる事もあるわけね…

もちろん、窓を開けてるからといってサウナ規模を阻止できるとは限らないが…

高校時代、離れの部屋でハードディスクにあった番組を猛暑の中で見ていた日が想起される。



部屋をぴしゃり閉めにしてる理由、それは単純明解だ。

今日は自宅の壁を塗り替える日だからだ。

その際、高圧水鉄砲みたいなものをやるらしいので、室内が水浸しにならないようにしなくてはならない。

我が家が水タイプになっては、別のケアをしなくてはならなくなるのでそうならないようにするためだ。

室内が台風やゾロアの嫁入りによって水タイプ&特性が湿り気になってないかひそかに気掛かりに思っていた。





午後はあらためて公務員試験本編を始めた。

実践はテストであり、身につける事には向かない。

だからといって、実践をやらなければ身につかない事だってある。

そのジレンマを解消できないのは、単に私が遅いからなのだろうが…

結局途中から考え方すら浮かばない形でつまずく事に終わった。

いかに間に合ってないかが市川以上に痛感される。






結局、数的推理のような白紙に公式などを書く形で考える問題を身につけるのは、初めて習う単語やハングルとかの書き方を身につける事と同じだ。

ひらがなだって形だけは身についてもいざ書いてみると書けないからわざわざそれを書く練習をさせているのだ。

数的推理も同じように解答方法をただ読んで身につけるのではなく、それを実際自分で書けるような形で身につけるように実際書いて身につけるのだ。

勉強のために書くというのは、このためにある。

ただ繰り返し書いてるだけじゃ覚えられないのも、それは『適当に書きまくれば勝手に身についてくれる』と誤解して書いてるからなのだろう。

あくまで『体の感覚で身につける』つもりで書くようにしなければ何度書こうがそれはただの落書きで終わる。

書いて身につけるのは、ただ書く事だけを目的にせず、自らの感覚でそれを導き出しているという形になるようにするための練習としてやってこそ意味がある事なのだ。

遅くても、高校生に気付くべきはずの勉強の事実に生後23年経ってようやく気付く私って…

その時に気付くべきだったという事と試験本編が近い時に限って気付いた事の遅さをあらためて痛感した。

気付いたなら、それをこれから活かしていけばいいというだろうが、そのこれからが私にはあるのだろうか…





実践ばかりやらず、できてないのなら終わった後にあらためて身につける進め方の方がいいかもしれない。

実践ができない以上、今の私がすべき事はそれがいいであろう…





外では暑い中、大工さん達が色塗りのための足場作りをしていた。

室内でもかなり暑いけど、外はもっと暑いんだろうなぁ…

外よりはだいぶマシな環境でやってるのに全力でやれない私って…

やる気のなさをさらに痛感した瞬間だった。

公務員試験をもうすぐに控えてるのにそんな気になれないのはどういうわけなんだろう…






夕方になり今日も畑に行った。

全力でやれているのは、畑だけという気がするのは私だけなのだろうか…

このやる気を公務員試験の勉強に使えないのか…

それを一体何回言ったのだろう…

自覚してても行動に移せない私をあらためて痛感した。







試験本番はもうすぐそこまで来ている。

なのに今更かというような形で始めた事を今になって後悔した。

次があるかどうかもわからないのに結局私は故郷で何をしていたんだ…

ただそればかりがよぎっていた。

これから私が出来る事は…

今出来る事はただ一つ…





どんな形であれ、本番の時が来るのを待つ、それだけ…